制服

出勤時に小学生の集団登校の列に出会う。夏休み明け手久しぶりに見たとき、女の子はみんな紺のプリーツスカート、男は紺のズボン。上は好きなTシャツを着ている。なんか、昭和の時代にスリップした気がした。私の小学校の頃は茶色でブレザーまであった。もちろん中学校は学生服にセーラー服。この、制服制度がいつかなくならないかとひそかに思っている。大人になって毎日服を選択するようになって、制服はどれだけ汚いのだろうと、よく、あんなもの毎日着ていたなと思う。もともとが生地がいいのか高価でざぶざぶと洗濯するものではない(はず)。だから、長期休暇にクリーニングに出すくらい。その間ずっと、毎日着ているのだ。色が濃いから目立たないけれど、クリーニングした人は真っ黒な水を見ているのではなかろうか。おかしいよ!そして、女子のわけわからんプリーツスカート。椅子に座る時それとなくお尻のプリーツを撫でて整えて座る。でも、もちろん動きの激しい学校生活でくちゃくちゃになる。私は「寝押し」と言って、布団の下にプリーツをそろえて新聞紙で挟んでその上で寝たものだ。どろどろと足元にまとわりつく不快感。それを長さで自己主張しようとするその時代の女子は立派なものだと思う。たぶん校長室で説教されるのだろうが・・・。不便極まりないデザインである。大人になってパンツで過ごす快適さ。動きやすい。ジェンダーの問題が出てきて、ズボン(orパンツ)の制服も認めるようになったと以前なんかで見たがそれも申告制だったような・・。女子のスーツのだいぶんパンツを認められるようになったので、制服ももっとパンツを許容したらいいのにと思う。おかしいよ!!服で統一性を求める考えもどうかと思う。合唱コンクール、その他もろもろ何かと一緒のものを着ることで統一性を出すことの効果に疑問を抱いている。以前、親子30人ほどがステージで踊りと歌の発表をされるのを見たが、1グループはそれなりに服をそろえていて、もう1グループは自由な服装だった。「あっ、ここ、服そろえなかったんだ・・」という思いで見たが、その発表が生き生きとしてとてもいいもので、服がバラバラなんてこれっぽっちも感じさせないまとまり感で、それを見た時から服装をそろえることの効果に疑問を持っている。実は、いいものは着るもんを一緒にしなくても人を感動させることができるのではないだろうか。大きな式典や立派なコンサートなど格が備わりますから服装にも気を配ることはとても大切な文化だと思いますが、小学校がそこまで求めなくてもよいのではないかと思います。外国は自由ですよね。教育の内容も教え込む、縛って忠実を求めることが多いので、服装を自由にしたら教師がそれを指導できないところはあるかもしれません。和の文化というより、封建社会の名残のような気がしてなりません。統一させていい子に見せるより、その子の個性を表現させる生活、学習に教育はなってほしいなあと思ってますが、そうなったら頭の固い先生方は困るでしょうね。

まっ、学校に行かなくていいよ、って言わんならん学校ってどうなん???って思いますね(´Д`)。