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心休まらず・・・

昨日、家族の協力のもと一日寝て過ごし、何となくだるさもぬけ今日は洗濯してばあさんのお世話して・・と起きて動き出しました。姉ちゃん、昨日気も張っていただろうし大丈夫かな、とのぞきに行くと・・・・・。

やってました。自傷行為ツイッターで何やらやらかして「だれも信じてくれへん」と言ってくれました。生きたくないとも。う~ん、昨日頑張ってお世話してくれて、ありがとうの気持ちも伝えたつもりですが、本人の生きる糧にはならないのですね。有名人と結婚するという本人の意思、以前も書きましたがそんな物的証拠はないんです。しゃべったこともない人と結婚するという話、なかなか信じがたいことです。もし、第三者がその状況をしゃべったら姉ちゃんは、「それは難しいんと違う」と冷静な判断をすると思うのですが、自分のことはそうならなくて、本人自身が苦しい状況に追い込まれているようです。そこは、誰が何と言おうが、本人自身が何とかならないと何ともならない。自傷はしばらくなかったのに1か月ほど前から出だして、私自身もショックは並大抵ではありませんが、また、あるんだろうな、と考えるようにしました。本人が生きるために必要なことなのでしょう。またあります。そして、昨日も・・・。そう思いつつもわたしもぶっ倒れていたのでちょっと予想外でくらっとしました。「おかあさん、ごめん」と言ってくれました。こっちこそごめんです。子育ての中で、姉ちゃんを怒鳴ってた光景が頭に浮かびます。あの時もっと優しくしてたら、怒らんかったら、追いつめんかったら・・・。いろんなことがよみがえります。抱きしめてあげてたら・・・。姉ちゃんの行為、親としてはつらいです。それだけはやめてんか、と言いたいです。でも、生きていくために・・・・。そのこと問題視するのでなく、そのことを傍らにそっとおいてあげようと思っています。それが正しいのかどうかわかりません。姉ちゃんの内面も私の理解が正しいのかどうかも分かりません。ただ、今のわたしのつぶやきです。

最近少し楽になる考え方を見つけました。「3割」です。野球で3割打てたらいい打者ですよね。人生も3割でいいや、って思ったとき、すごく楽になりました。今までは60%でいいやと考えていましたが、ぐっと下げて30%。これくらいが意外と生きやすい。相手にも3割というベールをかけると意外とそれ以上頑張ってはることに気づきます。何かしたとき、失敗やと思っても、3割のベールをかけるとそれくらいはいってるか、と自分にOK出してやれます。3割で十分です。そのことを実感したとき、自分はなんと高いハードルを基準に生きてきたのだろうと改めて気づきました。「あるべき姿」に支配されていました。「嫁」としてこうせなあかん、「母」としてこうせなあかん・・・。「嫁」という部分は大きいですね。家のことは嫁さんがしっかりせな、と家のことかなり頑張ってきました。(無駄に・・・という傾向もありますが)「母」の部分は、見ての通り、マイナス面で頑張って(?)きました。諺で、「親がなくても子は育つ」というのがあって、それくらいがいいと思っていました。でも、しつけは親の責任とばかりに、悪いこと(いたずら)、時間を守らない、行儀が悪い・・・等々は叩いて教えていました。親が怒らんかったら誰が怒ってくれる?ちゃんと育てないと・・・・。「ちゃんと育てないと」この精神が子どもを追い込んでいたんですね。高いハードルに子どもを追い込んでいたんです。子どもとしたら最悪です。今しみじみ考えています。

先日谷川俊太郎のイベントに参加しました。あの偉大な方が身近で飄々とお話しされるのに出会えるなんてなんと幸運なことか。お話し方は、ほんとに飾らず飄々とされていたのですが、偉人です! なんていうのでしょう、優しさがあり、気取らなさがあり、あんな詩ができる人間性がにじみ出るというか、やっぱり「偉人 谷川俊太郎」とい感じでした。一見よぼよぼのおじいちゃんですが、詩を読むとその間が妙を得てるというか感動するんですね。芸術家ですね。文字で書いてある詩をわたしが読むより、谷川先生が読んでもらうほうが詩が何百倍も生きる感じがしました。谷川俊太郎が読んでこそ谷川俊太郎の詩だ、と感じました。サインがもらえるということで「生きる」という本を一冊買いました。「コトバ」を感じさせてくれる気がします。その中で一遍。

「泣いて泣いて泣いて泣いても眠れること/眠ったらまた目覚められること/目覚    めたら立ち上がれること」

わたしは、寝てすべてをリセットするたちなので、共感しました。寝て起きたらまた一日が始まります。その一日をだるかったらだるなりに、楽しみなことは楽しんで、生きる、というには大げさですが、日常を送れたらと思います。大事な家族、子どもたちがいます。もうひと頑張りしないと・・・。