お墓まいり

先日、実家の母の命日だったので、お墓詣りに行きました。そこは竹藪の中にお墓があり、たいていまとめて墓地ってあるのに、墓が点在して竹藪でうっそうとしているお墓です。姉ちゃんもついてきてくれました。とてもうれしかったです。お墓詣りって一人でもできるけど、誰かが一緒にまいってくれるのはとてもうれしい。

相変わらず薄暗い中で、まず、熊手で墓の周りの落ち葉を掃除することから始まります。お墓に落ちている落ち葉も箒で掃いて・・・。そこは水がないので、持ってきたペットボトルの水で花さしのところを洗って・・・。驚くことに墓の敷地からも竹が伸びてきていました。ほっといたら竹藪に侵食されるような墓です。とりあえず簡単に掃除してお参りして帰りました。車に乗ったら、姉ちゃんが、「そうや、ここにはおじいちゃんもいるんやな。」と一言。そういえばそうだった。おじいちゃんもいます。わたしも車から「おじいさん、忘れてたわ。参りにきたで。」と声をかけました。あまのじゃくで道楽じいさん(父親)でした。新しい物好きでよくいろんなものを勝手に買ってきました。職場に服を売りに来る人がいたそうで、時々服買ってきたし、毛皮のコートも買ってきて、もったいなくって今でも残しています。。一回も着たことないけど。もう一つ、那智に旅行に行ったときに、那智黒の石でできた30センチくらいの置物の蛙を買ってくれました。そんなんいらん、って言ってるのに買って、それも一回も飾らずに置いてあります。真っ黒の蛙って気持ち悪いです・・。誕生日に2段のケーキを買ってきてくれたことも覚えています。あれはうれしかったな。わたしが高校生の時に仕事の人間関係で仕事休んで、依願退職して公務員を辞め、高速道路のジャンクションで何とか定年まで働いていました。仕事に行けなかった時に、「おまえどうするんや」と親戚が怒りに来てたこと覚えています。そういう事情は子どもの私には何もしゃべらなかったので、普通に高校行ってましたが、夫婦間では大変だったろうなあと想像します。そやけど、何とかわたしはお金の苦労もせずに普通に高校、大学と行って、大学ではそれなりに楽しんで過ごせたので、感謝はしています。思春期は大っ嫌いでほとんどしゃべりませんでしたが、もっとしゃべっといたらよかった・・・とはあまり思わなくて、お互いちょっと離れた関係でバランスとってたかなと思います。別に、嫁いでからは、会えば普通にしゃべってたし・・・。おとうちゃん、ありがとさんでした・・、という感じかな。とにかく、墓参りに行くのも母親の命日だけです。

車でバックにギアを入れて、すっと動き出すと、竹藪の間からさっと光がさしてきました。姉ちゃんが、「おばあちゃんが、ありがとうって言ってやあるわ。」と一言。それが、今日書きたかったことです。ほんとに、姉ちゃんのその一言が私の気持ちをなんていうのか、人間らしくしてくれたっていうか・・・。わたしはこれから日の光を見ると母親を思い出し、母親とともにいる感覚を抱くことができる気がします。千の風になってという歌もありましたが、歌で言っているとか、本で書いているとか、そんなことは頭でそうだといいなあと思っても実感として感じられないものです。でも、娘がそう気がついてそう言ったという事実が思いを結びつけたというか、心の支えにしてくれたというか、そんな気がします。ただ、偶然雲の切れ間から日がさしただけですが、それをどうとらえるかは人それぞれ。人それぞれの感じ方の中で、人は心の支えを作っていくものだなあと感じた出来事でした。姉ちゃん、よう、墓参りついてきてくれました。ありがとう。