お疲れ様

姉ちゃんの作ったお菓子の家は大好評で大盛り上がり。買ったらウンゼン円はするでしょう。そして「えっ、手作り???」という驚きと親近感。手作りのよさはなんというか暖かさがありますよね。

今は皮のカバンを製作中。それに、なんやら挑発してくるやからがいるらしい。うっさいものだ。相手はそうやっていろんな手作り派を「そんなめんどくさいことしてんと、こっちの商品買いなはれ」と売り込んでいるのかもしれない。まあ、相手も商売だから製品紹介はいたしかたないが、やりかたは陰険かな。その陰険さに姉ちゃんはまたまたネガティブ姉ちゃんになってしまった。実際のかばんの写真を見せてもらったが、相手のは、別にただの、ほんとにただのかばんだった。そりゃ、大量生産される一定のデザインもあったが、姉ちゃんのかばんと張り合うようなものではないような気がした。姉ちゃんが一生懸命に製作した分だけそういうことには敏感になるのだろう。でも、大量生産のカバンと手作りのカバンはもともとの存在価値が違う。「手作り」はほんとによく言われるがこの世に一つしかないものである。同じものはないのである。それが、商品になるほど優れているということは、その値打ちは計り知れない。そして作り手はその商品に気持ちを込める。見えない何かがつながって「惚れて」買ってくれる人がいる。

作家はそのことではぶれてはいけないと思う。百均に行けばほとんど揃う時代。ン万円のコップの作家が「百円でもコップあるしなあ・・・」なんて思ったら製品の輝きが薄れるのではないだろうか。手作り作家はとにかく自信を持って作ってほしいなあと思う。

そんな姉ちゃんは、ツイッターを遮断したらしい。もう関わりたくないと。そうやって、いろいろな出来事に自分が沈みがちなのを何とか浮揚させようと絶えず努力している。嫌なものがあったら自分の立ち位置を変えるということは案外生きやすいかも。うんこがあるのにそれを踏む人はいない。ちょっと避けたり、うんと大回りしたり、回り道を行ったり、時には後戻りすることもあるだろう。とにかく、うんこ踏んでしまったらおおごとだ。それは、ずるいことでもなんでもなく自分を愛するからこその選択。姉ちゃんは今までそういう「困った」選択をせず直球で生きてきたので、苦しくてもストライクめがけて投げてしまいがち。でも、今、どうボールを投げてこのピンチを乗り越えようかと、どう歩いてうんこを踏まないようにするかと考えられるようになったと思う。

いろいろ落ち込むことあるけど大丈夫。姉ちゃんの作品は心のぬくもりを感じる。それを信じて、手間暇かけてゆっくりいい作品を作ってほしいなあと思う。

うんこの例はデリカシーなさすぎ!?気に障ったらすみません。