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昔から本を読むのは好きでした。子どもの頃、マーガレット、りぼん、というような漫画も読んでいましたが、江戸川乱歩全集にもはまって読んでいました。親がそれは買ってくれました。ただ、そのころ、漫画の単行本はぜいたく品・・であって買ってもらえませんでした。でも、江戸川乱歩は、読んでいてゾクゾク感がすごかったです。

高校、大学の頃はまったのが、水上勉松本清張でした。内容は記憶にありませんがほとんど読みました。相変わらずゾクゾク感が記憶に残っています。

それとは別に、記憶に残る本ってあるんですね。一つは「橋のない川」。今でも大事に本棚にあります。何かとっても印象深かったです。そしてもう一つは、大学時代に友人が紹介してくれた滝いく子という方の本です。全体の内容は忘れましたが「何のために生きているのかと問えば青空がうんぬん・・・」という一文があって、なんか、わたしはわたしのために生きよう・・そう思わされた一文でした。何か雲が晴れたようなきがしたのを覚えています。そして、ずっとわたしはわたしのために生きてきたように思います。自分の感情を正として、いつも自分が正しいとして、その代り嘘はつかないで自分をいつも見せて生きてきたと思います。勿論外では適当に遠慮もしていましたが、家庭では自分の感情をもろ見せてきたと思います。それがある意味間違っていたのかなとも思いますが、50歳になっても忘れられないなんて、よほど印象深かったんでしょうね。

前はお風呂で1時間ほど使って読み漁っていましたが、もう、そんな気力もありません。推理小説も疲れるようになりました。家は浄土真宗ということは前に書きましたが、寺の役が当たるようになって、親鸞さんの本を読むようになりました。いまは、それが生きるよりどころとなっています。年と共に読む本も変わってくるのですね。今、愚の力という本を読みだしましたが、「物で栄えて心で滅びる」ではなくて、「心を滅ぼさないと物は栄えない」という文章になるほどと思いました。今まで物質文明が心を貧弱にしたんだと思い込んでいましたが、物に頼るのは、今まで手をかけ気持ちをかけてきた現実にふたをしないとできないことなのかなと思いました。決してそれが悪かというとそうは言い切れないとは思います。

それが悪ではないからこそ、物に頼ることを一概に否定できない。手作りの食事がいいに決まってるけど、世の奥様方はそんな時間のゆとりはないし買って済ます。致し方ないと思っていても奥様方の心は少しちくっとしていると思います。もしちくっとしていないのなら、それこそ「心が滅び・・・」という世界に入っているのかもしれません。わたしは料理音痴なので、買って済ますことを一つも悪いとは思っていませんが、ああだ、こうだ言いながら料理して味について意見言い合ってその家独自の味ができるのは一つの理想なんだろうなとは思います。でも、そんなことしていたら明日の仕事ができません。

ただ、新しいものを使うことがいいスタイルかというと、けっしてそうではないということを気づかされた気がします。今、いろいろな宣伝で新しいものを使うことが善のような時代になってますが、そのことが心の貧弱になっていないか、世間のあおりに乗らずに大切なものを失わないようにしたいという文化が広まればいいなと感じた次第です。お粗末さまでした。