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実家

今も田舎だけど、実家も田舎。家の前に大きな畑があって、米を蓆で干すので、稲刈りの後はもみのじゅうたんになって、それを昼ごろにいったん寄せてまた、木の棒みたいので広げるのを母とうれしがってしていた。冬は一面に雪で真っ白になって、寒波の後の快晴で、雪がキラキラ輝く風景が好きだった。姉と二人で雪食べて笑っていた。井戸があって、すいか冷やしていた。なぜか沼のような池のような水たまりがあった。あの、広い畑の草むしりは誰がしていたのだろう。母親なんだろう、大変だったろうな。お風呂はまきで炊いていた。おくどさんがあって、ご飯もまきで炊いていて、天井はすすで真っ黒だった。筍の季節は、筍づくしの食卓だった。小1で入院した。そのとき、注射で泣いていたのだろう、母親におぶわれてえいせいぼうろを食べてぐすぐす言っていた記憶がある。手で田植えをしていた時代。赤ん坊の時はかごに入れられて、お乳がはったら飲ましに帰ってきてた、なんて話を聞いたことがある。扁桃腺をよくはらしていて、バイクの後ろに乗せられて医者に行き、のどになんか薬をよくぬってもらっていた。おばあちゃんの部屋でよく寝かせられていた。小学校の時、忘れ物をすると近くの文具店の電話借りて持ってきてもらった。バイクで走ってきてくれた。買い物に行って素敵なコートがあったので、「買うて」と言ったら、ほぼ相手にされなかった。確かにあの頃の家の家計では買えなかっただろう。高校はそこそこの進学校に合格した。親戚にはあまり進学校に行った人がいなかったので、感情は表に出さないが、母親は喜んでくれていたことは感じることができた。勉強のことは何も言われなかった。

そんな実家も様変わりはしたが、幼少の記憶(?)は懐かしさと、過去のことでしかないというさみしさと、でも、自分の底辺を作っている身近さを感じる。

子どもにとっての実家はここの家。そして、わたしは母親。わたしはいったい何をしているのだろう。何をしても役立たない。働きに行ってお金、もらってることだけがわたしのこの家での役割りかも。夫はそのことをよく知っていて、仕事辞めるなと言っていたのか。仕事辞めたらお前の価値なんかないぞ、って見透かしていたのか。

そんなことないって反発してたけど、そうかもしれないと、思えてきた。

「まことにご愁傷様」