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うちのお姑さん

うちのお姑さん、85歳になります。17年前、68歳で脳梗塞になり、7年ほどは四つ這いや支えを持って動けていましたが、動きやすくするため家をリフォームするのに3か月施設に入ってからは車いす生活になり、今は寝たきりです。でも、意識はしっかりしています。ただ、流ちょうにはしゃべれず思い出したことを片言でしゃべるくらいです。

まあ、昔の人なので根性は座っています。寝たきりになってもその根性は健在です。昨日も訪問看護さんが来てくださっていろいろ体の様子を見てくださったのですが、触られるのが嫌で、手を左右に振って「嫌」のそぶり。でも、訪看さんもしなければならないことがあるのでいろいろ見てくださっていると、親指をたてて「メッ!」の仕草。

見ててくれはるんやで、ありがとう言わな、と声はかけるものの、通用はしません。世話してもらってるで、「おおきに、すまんな」とふつう思うやろ、というのは意外とドラマの世界だけなのかもしれないと思います。逆にうちのばあさんみたいな人のほうが多いかも。ドラマや架空の世界の中で、誤った人間認識が植えつけられているのでは、と感じることもあります。話し合ったらわかりあえる、親切にしたら感謝される、人のものを借りる時は了解を求める、いやいや、そうはならない人が意外と多いかも。ドラマのような人間関係を求めたら、ストレスたまりっぱなし!?人間の心は複雑です。

そんなうちのばあさんに、申し訳ないことが二つあります。

一つ目は、大事にされていた自分の母親の写真を見て、ばかにしたこと。わたしが36の時に悪くなられたので、それまでの元気な時に昔の白黒の自分の母親の写真を机に飾っておかれました。私自身母親に対して特段仲良かったわけではなく、親は親、わたしはわたし、というまあ、一般的な関係だったと思いますが、なんか、いつまでも自分の親のこと大事に飾っておく、という行為がなんか嫌だったんですね。「もう、ほんとに、、。」という気持ちでそのことをとらえていました。その写真が何処にいったのか、リフォームするときどっかにまぎれたのかちょっとわからなくなってしまいました。そして、今わたしも自分の親をおくって数年経ちますが、母親の写真を大事にしてるんですね。若いときにはわからなかったんですが、自分が70になっても80になっても母親は母親なんですね。子どもがいつまでたっても子どもでしかないように、お母ちゃんはいつまでもお母ちゃんなんですね。60になっても、お母ちゃんにはなんか無理言いたいんですね。もう、返事はかえってきませんが。みんながみんなそうだとは思いませんが、わたしは、今やっとその時のおばあさんの気持ちが共感できたのかな、と思います。申し訳ないことしたなあと思っています。

そしてもう一つ、これは申し訳ないというより、できなくてごめんなさい、なんですが、うちのおばあさんを「おかあさん」と呼べなかったんです。世間の若いお嫁さんが、どうして気軽に「おかあさん」と夫の親のことを呼べるのか、わたしはわからないんです。だって、おかあさんじゃないもの。ただ、まったく他人の方に「お母さんはどうですか」ということはできます。考えすぎてしまうんでしょうか。夫のお母さんはわたしのお母さんじゃない。このことは長年のわたしの疑問、呼べない自分への疑問でした。なんでよべないんだろう、なんでよべないんだろう・・。結婚してすぐに子どもができたので、「おばあさん」と呼ぶことで事は収まりましたが、未だに呼べないですね。変なところでこだわってしまう、こんな偏屈な嫁でごめんなさい、です。ただ、わたしは言いたい、おばあさん、あなたもそうとう偏屈ですよ。偏屈者同士、まあ、仲良くしましょ、長生きしてください、おばあさん。