花のうつくしさ

実は生け花を続けています。結婚する前に、夫の父親が花活けさんだったので、嫁としての株をあげようと(?)2年ほどならったかな・・・。そして結婚してそのお舅さんが亡くなり夜出やすくなったのでまた習いに行って。15年ほど続けているのかな。わたしも勝気なので、そのお舅さんには教えてもらうことはなかったのですが。花を活けてると癒されます。流派は池坊ですが、意外とぶちぶちと切っていくんですね。針金いれて曲げたり。お花がかわいそうっちゃかわいそうですが、洗練された美の追求とわたしはとらえています。自然の色は、人口では表すことのできない素晴らしさがあります。花と出会うと「きれい!!」と思い、その花が一番きれいー品を感じるー姿に仕上げていくのです。ただの花が表情を持つようになる。その花が一番きれいなむき、形を探りながら活けあげるのはなかなか楽しいものです。わたしにとって花というものはそういうものでした。昨日娘と話し、「花と蛙は一緒や」という大きなテーマをいただきました。娘は絵を習っていたので、昨日花のデッサンをしたそうです。それがなかなか難しく「花はきらいや」という話から、「花と蛙は一緒や、蛙を活けるわけにはいかんけど」というオチになっていくのですが、その視点っておもしろいなあと思いました。ふつう、花はきれいで蛙はグロテスク。それは事実。でも、描写しようとする目には一緒に映る。存在の事実より主体の見方で存在の事実(事実じゃなくて印象なのかな)が変わってしまう。自分の常識が意外と真実ではないんだなあと感じました。「花なんてきれいじゃないよ、蛙と一緒」なんて言えば変人と思われそうですが、主体の観点によって見方は変わるものなんですね。わたしは(多分)左脳派で、コナンのように「真実はひとつ!」ととらえがちですが、そうでもない世界があること、50過ぎていろいろ感じています。娘は、時々そんなわたしの見えていない世界に光を差し込んでくれます。