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長女が帰ってきた

長女が友達と遊びに行って帰ってきました。いつも登場する「姉ちゃん」です。休みに東京から実家へ帰ってくる友達がいて、中学時代からの付き合いで3人が年に1,2回会うのです。そのお誘いが昨日あって出かけていき、帰ってきました。出かける前は楽しみにしていてすごくおしゃれして行きました。でも、相手の都合があって、意外と早く帰ってきました・・・・・。

いろんな話ができたようですが、姉ちゃんの大きなウェイトを占める、「声優さんとの恋愛相談」は相手から理解は得られなかったようです。わたしは、事実、という世界があり、想像、という世界があり、そこに境界線があるのかないのかわからなくなっています。通常はある、のでしょう。そこらへんは無意識に自覚して会話をしているのでしょうが、いろいろな経験から、想像することは事実だと思うことはいくらでもあります。天気一つでも、朝、快晴だと「今日はいい天気」と考える。たいていは当たるが、突然雨が降り出すことだってあります。今日はいい天気だろうと想像したことを事実ととらえてしまう。そして雨だと大急ぎで洗濯物を取り入れることになります。想像したことは事実でなかったと認識することになります。

姉ちゃんの恋愛には物的証拠がないんです。状況証拠はいくつかあるそうですが、決定的証拠はないのです。だから、説得力にかけるように思います。本人が、状況判断してどう考えようがそれは自由です。すてきな王子様を待って生きようが、ツイートして、恋人作ろうが、それが生きる楽しみになるのならそこは個人の自由なんだろうなと思うのですが、そこを、現実である・・・と周りの人に話して理解を得られるのは、なかなか難しいなあと、姉ちゃんが、何を伝えたいのかをもちっと補足説明しないと、「そうだね」と相手の共感は得られにくいなあとは思うのです。昨日も、相手から「現実を見たら」というような言い方をされたと落ち込んでいました。う~ん、そこはわたしもどう応じたらいいのか白紙状態です。アイデンティティーが揺れやすい持ち主であるとある方から言われたようですが、他人には、その「揺れる」感覚は全くないので、そこを共感することは他人にはかなり難しい、わたしも、共感するのはかなり難しいです。そこは本人の特性なので、色盲の人が同じ色見ても全く違う色に見えるのと一緒で(姉ちゃんもこの例を言ったことがあります)お互い色を言い張ってもそれぞれが正しいのだから歩み寄ることはできない。そこは、相手への理解でしかありません。そう、あなたはそう見えるんですね・・・、と。お互いにそういわないと収まらないような気がします。そうして、トラブルになるには、その特性を持った人は数パーセントと少数派であること。だから、一般論が正しい、と世間では思われて、違うことは間違っている、と判断されることが多いということです。正誤ではないんですね。どちらも正しいのです。

それと、もう一つ、3人で写真を撮って帰ってきました。それをツイート載せたいようですが、自分の姿が気に入らなくて、(最初に書いたようにすごくおしゃれして行ったので)「今日の服燃やしてしまいたい」という始末。ここら辺の表現の過激さも特性のようですが、それを聞くと、私もすごく落ち込みます。「そんなことないよ」と思うのですが、その時の負のオーラは何とも言えません。ほんとに、とてもさわやかで似合っていました。おしゃれ上手です。コーディネイトはうまいです。かといって特別いい服なわけではなく普通の御嬢さんならふだん着てそうなコーディネイトです。まあ、日常が日常だけに、そんな日は200%の努力をするわけですが、世間的にはノーマルないでたちだと思います。本人は不細工やというのですが、姉ちゃんは、気分がすぐ顔に出やすいので、出かける時の表情はほんとにはつらつとしていてきれいでした。写真の顔が不細工なのは、多分その時の心情がストレス抱えてたからそんな顔になったのでしょう。「お母さん、お母さん、実はな・・・」と面白いこと伝える顔はほんとにかわいい顔します。そして、昨日みたいに落ち込んだ時は死人のような顔になります。その落差の大きさにわたしの心は疲労困憊するわけですが、はつらつとした顔も、死人の顔もみんな姉ちゃん自身なのでそれはそれでいいじゃないですか。わたしだって、もっときれいになりたいし女優のようになりたいけど、人間、できることとできんことがあるから、できることで努力を重ねるしかないです。そして、できることでこつこつ努力を重ねる人が一番美しいものです。わたしは、もう、おばさんやし美人でもないけど、そういうところでは美しく生きてると思います(!?)。

そんな冗談はさておき、他人と比較して、うまくいかなくて落ち込むことは頑張って生きてる証かな。落ち込まれると周りはちょっと苦しいですが、落ち込まない人生なんてあるわけがないのだから、落ち込んでも、また、元気出して、楽しいこといっぱいしよう。大丈夫。おもろいツイート見つけて、またおかんを笑わせてください。

支離滅裂になりましたが、姉ちゃんはほんまにいいやつです。よくがんばったよ。

 

長男が帰ってきた

連休なかび、急に長男が帰ってきました。わたしとしては大事に育てた長男で、帰ってきてくれるのはうれしいことです。でも、こわーい顔して晩御飯食べて・・・。こちらが遠慮して気を使う始末。わたしたち親をまるでばい菌でも見るように睨みます。昨夜は、お酒の酔いに任せて、「なんでそんな怒ってるんや」と問いかけ少ししゃべりました。このままではあかんと思ったからです。彼は「親には憎しみしかない」と言います。「押さえつけられて、できんかったらゴミみたいに言われた。」とも。帰ってくる前に友達と一泊の温泉旅行に行っていたらしいのですが、友達の中でも気を使うことしかできない、自分を出すことができない、こうなったのも親に痛めつけられたからや、と彼は言います。自分のことは棚に上げることになるのですが、父親は、彼がそういうのもわかる気がします。ほんとにちょっとしたことで怒鳴り散らされました。ちょっとお客さんの接待が遅かったり、言われたものを持っていくのが遅かったり、帰ってきたときにお風呂が入ってなかったり・・・。わたしも何度泣き散らして訴えたかわかりません。(このことも、子どもに悪影響を与えてしまいました。)でも、根本は変わらないです。家のばあさんも介護の状況ですが、10年介護されても根性は変わりません。それはお互い様だとは思いますが。

そんな父親を、もちろん母親の私も彼には同等なのですが、憎みます。親に復讐することが生きがい・・とも言います。わたしも、子どもには厳しかったです。「怒る時は怒る」「親は怖いと感じてもらうほうがよい」と思っていました。昨今、子どものしつけほったらかしの親が多い中で、親としてきちっとせな、という思いはありました。子どもを自分の思い通りに扱おうとしていたのです。できて当たり前とひどい怒り方をしてたことも事実です。そういう厳しさもありながらも普段は普通に接していたと思うのですが、子どもは「覚えてない」「怒る以外は無関心だった」と言います。

前にも書きましたが、おじいさんが亡くなってからは家自体が大変でした。長女と長男には命令ばかりしていたと思います。でも、子どもとして愛情はもちろんあったし・・・。ありがとうも言っていたとおもうのですが・・・。今となってはすべて弁解でしかないのかもしれません。

復讐したいという彼の気持ちを、わたしは批判も非難もできません。ごめんな・・・。そう言っても、「いまさらなんや!」と返されるでしょうが。でもやっぱり、〇〇、ごめんな。

姉ちゃんが一緒に喋ってくれてよかった。これからも、いろんなこと喋りたいとは思います。

お墓まいり

先日、実家の母の命日だったので、お墓詣りに行きました。そこは竹藪の中にお墓があり、たいていまとめて墓地ってあるのに、墓が点在して竹藪でうっそうとしているお墓です。姉ちゃんもついてきてくれました。とてもうれしかったです。お墓詣りって一人でもできるけど、誰かが一緒にまいってくれるのはとてもうれしい。

相変わらず薄暗い中で、まず、熊手で墓の周りの落ち葉を掃除することから始まります。お墓に落ちている落ち葉も箒で掃いて・・・。そこは水がないので、持ってきたペットボトルの水で花さしのところを洗って・・・。驚くことに墓の敷地からも竹が伸びてきていました。ほっといたら竹藪に侵食されるような墓です。とりあえず簡単に掃除してお参りして帰りました。車に乗ったら、姉ちゃんが、「そうや、ここにはおじいちゃんもいるんやな。」と一言。そういえばそうだった。おじいちゃんもいます。わたしも車から「おじいさん、忘れてたわ。参りにきたで。」と声をかけました。あまのじゃくで道楽じいさん(父親)でした。新しい物好きでよくいろんなものを勝手に買ってきました。職場に服を売りに来る人がいたそうで、時々服買ってきたし、毛皮のコートも買ってきて、もったいなくって今でも残しています。。一回も着たことないけど。もう一つ、那智に旅行に行ったときに、那智黒の石でできた30センチくらいの置物の蛙を買ってくれました。そんなんいらん、って言ってるのに買って、それも一回も飾らずに置いてあります。真っ黒の蛙って気持ち悪いです・・。誕生日に2段のケーキを買ってきてくれたことも覚えています。あれはうれしかったな。わたしが高校生の時に仕事の人間関係で仕事休んで、依願退職して公務員を辞め、高速道路のジャンクションで何とか定年まで働いていました。仕事に行けなかった時に、「おまえどうするんや」と親戚が怒りに来てたこと覚えています。そういう事情は子どもの私には何もしゃべらなかったので、普通に高校行ってましたが、夫婦間では大変だったろうなあと想像します。そやけど、何とかわたしはお金の苦労もせずに普通に高校、大学と行って、大学ではそれなりに楽しんで過ごせたので、感謝はしています。思春期は大っ嫌いでほとんどしゃべりませんでしたが、もっとしゃべっといたらよかった・・・とはあまり思わなくて、お互いちょっと離れた関係でバランスとってたかなと思います。別に、嫁いでからは、会えば普通にしゃべってたし・・・。おとうちゃん、ありがとさんでした・・、という感じかな。とにかく、墓参りに行くのも母親の命日だけです。

車でバックにギアを入れて、すっと動き出すと、竹藪の間からさっと光がさしてきました。姉ちゃんが、「おばあちゃんが、ありがとうって言ってやあるわ。」と一言。それが、今日書きたかったことです。ほんとに、姉ちゃんのその一言が私の気持ちをなんていうのか、人間らしくしてくれたっていうか・・・。わたしはこれから日の光を見ると母親を思い出し、母親とともにいる感覚を抱くことができる気がします。千の風になってという歌もありましたが、歌で言っているとか、本で書いているとか、そんなことは頭でそうだといいなあと思っても実感として感じられないものです。でも、娘がそう気がついてそう言ったという事実が思いを結びつけたというか、心の支えにしてくれたというか、そんな気がします。ただ、偶然雲の切れ間から日がさしただけですが、それをどうとらえるかは人それぞれ。人それぞれの感じ方の中で、人は心の支えを作っていくものだなあと感じた出来事でした。姉ちゃん、よう、墓参りついてきてくれました。ありがとう。

うちの相方人間観察その2

相変わらず、わが道を大股で歩いている相方です。月に一回我が家で、ゴルフ仲間と飲み会をしているのですが、金曜日の祭日の午後、準備をしかけました。いつもの部屋だと思っていたら人数が多いらしく隣の部屋を使うべく置いてある机をどけていました。たまたま、私が見かけたので話しかけて事情を聞いたものの、何故一言「今日はこっちの部屋使うで机どけるぞ」と言えない???先日も、明け方娘が寝られないと相方がTV見ている横のソファで寝転がっていたらしい。相方は夜7時ごろ寝て3時ごろ起きる生活をしています。娘は怖い夢を見て恐ろしくて人を求めて今に出てきたようです。娘はちょっといろいろあって、私も何かと気にかけている。それを相方はもちろん知っています。その朝、私はそんなことは知らずに起きてきて、相方と普通にしゃべり仕事に行きました。普通、言いませんか?「なんや〇〇(娘)怖い夢みた言うて起きて来とったぞ」と。全く何も言いません。

娘の持っている工具を勝手に使う。何度言っても言わない。今回は使わしてくれとは以前に伝えて許可はもらったそうだ。でも、×日に使うことは言っていない。人のものは、昨日はよくても今日はだめ、ということだってある。使う前にちょっと借りるで、と一言いうのが礼儀だろう。かつ、今まで勝手に使って何度トラブルを起こしてきたか、もっと慎重になるべきだろ!!なぜ、それがわからないのか、それがわからない。おまけに、その工具の横に、娘が作っていた小物の工作品があった。相方はそれを手でざあーっとどけてしまい、まるで眼中になかったようだ。精巧な製作物だったのに・・・。失礼極まりない。わたしは、「ごめんな、代わりに謝るわ」と思わず言ってしまった。共同生活にはいろんな場所にいろんなものに、一緒に住んでいる人の気持ちが組み込まれているということが相方はわからないようだ。何故、自分がこうしようと思ってしただけなのにそんなに言われんならんのやと逆切れされる。この家の者は全部自分の傘の下にあるようだ。

存在が濃いので、いるとうざくて仕方がない。せいぜい、ゴルフに行ってください。そういえば、最初に行った飲み会は全部自分で料理をしてもてなして頑張っている。わたしに(文句言われないように?)は何一つ頼まない。でも、その日のための掃除はそれなりにしている。それに、お客さんが来るのだしやはり私としては何かと気になる。今回は肉系で料理を考えていたので、何かあっさりしたもの一品用意しようと思った。料理の苦手な私はお店に頼ることになる。たまたま、買い物にも出かけたので何がいいかと考えた。お惣菜サラダ類がいろいろあって、相方はポテトサラダを作っていたので、マヨネーズ系はかぶるかな、かぶらないものでと考えて、生野菜のサラダにした。この選択がいいか悪いかはわからないが、とにかくかぶらないものをまず考えて選んだ。家に帰って、お肉焼く時に、これも一緒に出して・・・と伝えた。相方は言った。「買うて来てくれたんか。ポテトサラダ作ったのに・・・。」と。人が一生懸命考えたことをばっさり切ってかかる。もう、何も言いませんでした。

ほんとに困ったものです。そして彼は言う。「なんでわしばっかりわるいんや!!」と。……『おまえがわるいんじゃーーーーー』   ああ、すっきりした。

順応の脅威

昨日、ラジオから植物の生態のような話が合って、多分コケ類の話だと思うのですが、日陰でも順応することで生命を維持している、というような話を聞きました。それは至極当然のことで今までも聞いてきたことなのですが、昨日はビビッときまして、こうして書き込んでいます。「順応」この素晴らしき言葉!今までのイメージは「相手に合わせる」「適当にする」という“ええかげん”な要素もあったのですが、苔の話から、目の前の今ある生物体は、すべて「順応」から生き残ってきたものであることにとらえなおすことができ、「順応」って生きる生命力であると感じたわけです。そして、そこには、ええ加減という生き方ではなくて、生命の意志を感じることができたわけです。何をそんなことで大げさな・・・と思われそうですが、じめじめしたところで生きている生物体、それはそこでも自分が生き延びようとして形を変え細胞を変えながらそこで生きる道を選びそして今なお息づいている。何億という道のりなのかもしれませんが、すごいことです。庭に咲くきれいな花も、改良という人間の手が入ったかもしれませんが、今の形を歴史の中で作り上げ存在している、生命の悠久を感じてしまいました。その努力は、苔も、ひまわりも、桜も優劣はなく、生物体としての同じ存在であると、苔の存在を見直してしまいました。生物体の延長である人間もそうなのだろうと思います。順応できない人間の息苦しさは、社会性ではなく生物体レベルでの息苦しさではないのか・・・。本人の気持ちの持ち方でどうなるものでもないのではないか・・・。ちょっとそんなことも思いました。そして、生き延びるためには、「順応できる自分」を作り出していかなくてはならない。人間の生き方としては、周りに順応することは道徳的なことで、一匹狼なんかは「へっ、しゃらくせー、世の中になんか合わせるもんか、俺は俺の道を行く」というのがかっこいいことに感じていましたが、自分の存在を価値あるものにするための順応があることを感じました。何に順応して何に自己主張するのか、その兼ね合いのさじ加減が生きるためには必要なことなのだと感じた出来事でした。

絵本

今日、地域でとある絵本作家をお呼びしてのライブがありました。保育園でも小学校でも読み聞かせをしていますが、なかなか絵本の文化は浸透せずお客さんは少なめでしたが、なんとかいいライブでした。夫婦で絵本を作っておられて、今日も夫婦でライブをされたのですが、絵本のよさと、ライブのむずかしさを感じた時間でした。ちなみに私はわき役ながら読み聞かせに携わってこの企画のボランティアの一員であります。旦那さんのほうが進行役でいろいろやられるのですが、参加者が少ないこともありのりが今一つで、笑わせようとされることが空回りのところもあり・・・。でも、奥さんのほうが淡々と絵本を読まれると子どもたちがふっと聞くんですね。絵本の力を改めて感じることができました。なぜ絵本に携わっているかは以前に書きました。やっぱり絵本はいいです。ちらっと聞いたのですが、ラフの絵なんか、これくらいって指で3cmほどたまるくらい書き直されるのだそうです。絵も、えっ、ここまで書いたのに・・・・と思うものもあっさり(ではないと思いますが)書き直しされ、一冊の絵本ができるのに、絵の書き直しは並大抵ではないようです。どれも、そんな簡単に出来上がってはいないんですね。わたしたちの仕事もそう簡単には行きませんし・・・。仕事って、できなくて当たり前、失敗して当たり前から始まることをこれもまた勉強になりました。上手な人はささっと仕上げているような感じになりますが、いっぱい失敗しているんですね。失敗作の何か一つが運もあってうまくいって賞をもらったり有名になっていくんですね。99%は努力ではあると思いますが、時の運も大きく作用しますよね。わたしの転勤もどう作用するか・・・。以前したい職種に周りの反対を押して携わったことがあると書いたと思いますが、それが、子どもにとってはよくなかったかもしれません。たまたま変われたっていう運が取り返しのないことを引き起こしたのかもしれません。でも、過去のことごたごた言っても始まりません。これからの運を楽しみに生きていきたいと思います。

そういえば、ボランティアの一人の親せきが私の職場の同僚であることが今日偶然判明しました。世の中は狭いなあと、二人で納得しました。運とは言い切れない偶然の積み重ねも世の中にはあるものですね。だからその人と何かあるわけでもないけどどこかでつながっているという偶然。ほんと、運命のいたずらとはよくいったものです。

 

AKB48

最近AKBを聞いています。たまたまあったCDを車で聞いたのですが、50過ぎの私も元気になりまして、今続けて聞いています。あの、「私、いけてるから」みたいな積極性とか「わたしもいつかやってやる」みたいな歌詞が何か新鮮でした。リズムも乗りやすくていいのかなあ。どっかで聞いたことのあるようなよくある感じなのですが、それが安心するのかなあ・・・。まあ、軽くて、何も考えたくない私の脳みそにフィットした感じです。曲名など全くわからないのですが、「♪きっとセンター!総選挙1位!こんな場所では満足できない!」的な歌詞と「♪ミニスカートで妖精に変身して・・レッスンがんばったらネクストスター・・」という歌詞が気に入っています。

AKBの魅力って何かあるんだなあ・・とちょっと見直しています。若い女の子がちゃらちゃらして、男に媚びるようなスタンスで、わざとかわいく見せてちょっと素肌を出して人気を取ろうとする、「あんたら、そんでええと思てんの」と言いたくなるようなグループ。顔や姿だけで競い合うレベルの低さ。女の子ということを売り物にするような下劣さ・・・。まあ、若い男の子にはそれがいいんやろな・・・と横目で見ていた私がCDを聞くようになるとは想像していませんでした。歌はほんと下手ですよね。CD聞いていても小学生の合唱大会か、と言いたくなるような声です。FNS歌謡祭でほかの人の歌を歌っているのを聞きましたが、ちょっと聞いてられなかったこともあります。声が束になって何とかなっている感じですよね。多分みんなそんなことわかっているけど、何故か見てしまう。そして、気持ちはそんな嫌にならない。なんかかわいい・・・、と感じる。不思議なグループです。人気曲もあって振付もあって・・・。ネットでいろんな人が踊っている動画を見ますが、ピンクレディほど誰もが踊るという感じでもない。

別にAKBを研究しているわけではないのでよくはわかりませんが、あのグループの中に企業戦争的な戦いがあるのかなあなんて感じています。仲良しグループで歌が好きでわたしたち歌ってます♡みたいな感じではなくて、わたしはAKBでセンターになるため歌ってます!自分も磨いてます!AKBはわたしたちの仕事場です!ていう感じがしないでもない・・・・。よくわかりませんが・・。

今は、歌のリズムに気持ちを軽くして通勤しています。もうすぐ聞き飽きるでしょう。そしてAKBも人気がなくなる時が来るでしょう。絶対なんて、永久なんてこの世にはないものです。でも、私が生きてく中でAKBは必ずあったし、一時毎日車でその音楽を聴いていたってことは事実としてあったし、その事実があるということが大切なんではないのかなあと思っています。そしてわたしはAKBさん、楽しかったよ、ありがとう・・・。と心暖かくして思います。

私という人間も、いろんな人と出会い別れますが、ほんとに何回言ってもおぼえてくれやーれん人やった、とか、すぐ帰っていかーる人やったとか、言わなしゃーれん人やったとか思われても、〇〇さんなんか楽しかったよ・・・って言ってもらえるようになりたいものです。

うちの相方人間観察その1

好きな男性と聞かれて思い浮かべてしまううちの相方、夫。まあ、昔は好きで今も好きではありますが、この方が何かと大変なんです。昨日1日でも、朝、やれやれ1週間の仕事を終えてゆっくりトーストとコーヒーで録画見ながらくつろいでいると「電気直せゆうてたけどどこにあるのや!」とわめく。「後にして」というと、「直せゆうてたやんけ!」と畳み掛ける。たいていはいいなり(?)になるのですが、さすがに昨日は動くのが嫌で「〇〇に入ったる!」と返事。〇〇から電球を見つけて付け替えに行く夫。しばらくして玄関を見ると仕事が途中でほってある。どうも、持って行った電球に付け替えてもつかなかったようだ。娘が見かねて「なおしたろか」と直してくれた。無事つくようになって二人でよかったよかったと喜んで終わりかと思いきや、出かけていて帰ってきた夫は「誰が直したんや」と不満そうな口調。「ねえちゃんや」と答えると「わしにはつかん電球渡して・・」とのたまう。おまえが勝手に持って行ったんやろ!つかんかったら違うのためしてみいや!と心の中で切れる・・・。直ったことに対してプラスの言動は一言もなし。そして、どうも様子を見ると田んぼの仕事に出て行ったようで、昼近くになりさすがに田んぼ仕事で帰ってくるので昼ご飯大丈夫か確認した。大丈夫かというのは、食事は自分が好きなものを作って食べているので、ラーメンのストックがあるかを確認しただけだが、そのラーメンがない。それで、親子どんぶりができるよう鶏肉と玉ねぎでそんなにうまいわけではない親子どんぶりを作った。夫が帰宅。「ラーメンなかったで親子どんぶりもどき作っといた。よかったら食べて(料理に関してはわたしはとても遠慮する。上手ではないので)。」と声をかける。返事は「・・・」無言だ。わたしは午前中の用事が終わってないのでそれをしていて、ふっと見るとずるずると麺をすする音がする。それとなく観察するとうどんを作って食べていたようだ。わたしの親子丼は完璧無視された。何か作っとかな・・・と相手の顔を思って行動したわたしの心情も無視である。そのあと、何も言わずに出ていき何も言わずに帰ってくる。出かける前に、おばあさんが食べるおかゆを火にかけて忘れて出て行ってしまった。うろうろ片付け物をしていたので、「おかゆ忘れてる」と気づいたからいいようなものの、どうするつもりだ。帰ってきたときにさりげなく「おかゆ忘れてたで」と一言言ってやった。「あっ、焦げてなかった?」的なことを言っただけで頭下げるような言動は一言もなし。「いいねえ、おまえをどなるやつはいいひんから・・・」と心の中で切れる。ホースが割れて途中での水漏れがひどいので、新しいのを買って付け替えた。それを姉ちゃんがちゃんとしてくれた。姉ちゃんは夫に(自分がしたのに)「お母さんが付け替えやったで」と伝える。わたしは、自分がしたと言わないのは、どういう返事が返ってくるか察してのことだと思う。ああ、ほうやったんか、ありがとう・・・なんて絶対言わないだろうと本能で感じて「おかあさん」という仲介を立てたのだと思うが、やはりその返事は「見たらわかる」ということだったらしい。相手の気持ちを汲むのはどうも苦手らしい。自分はほめてもらって当たり前の存在らしい。あなたを助けましたよ、わたしはこういうところ気がついてがんばりましたよ、ということを伝えると、自分を非難されたと感じるようで素直に共感しない。そして、言葉ではなく態度で相手を蹴散らかす・・・。まあ、幼いころから頑張ることを自分自身に課して生きてこられた方なので、がんばることが普通なんだろう。わたしはお嫁にきて感じることは、動いてないと怒られる・・・という雰囲気だ。別に、おじいさん、おばあさんはゆっくりテレビも見ていたし、働き者ではあったけれど夜は早く寝ていたしなぜそう感じるのかよく自分でもわからないのだけれど、何か動いてんとあかん、雰囲気を感じて今でも家にいる時は何か仕事している。それが子どもにもよくなかったんだろうなあ。そんなことはいまさら言っても仕方ないが、今は家の仕事は二の次にして、ふらっと姉ちゃんと買い物に行ったりプールに行ったりして余暇を充実させている。以前は同年齢の主婦連から「長浜のイオンに買い物に行く」と聞いた時、なんで長浜まで行く余裕があるの?と不思議に思った記憶があるが、そんな余裕すらなかったんだなあと振り返っている。動いてなあかんという雰囲気より、平日は仕事で家のこともちゃんとせなあかんとなった時に動かざるを得なかったということかなあ。夫は朝から特製カレーを作っている。とにかくエネルギッシュだ。そういうところはほんとにすばらしいと思う。やることはやる、はっきりしている。態度は悪いけど感謝の気持ちはしっかり持っている。そこらへんは情に深いところはある。村の人に対しては「あの人は一生懸命やってくれてはる」と感謝もするし、弱者にも優しい。なんで、あんだけ態度悪いし、家族はしもべのように扱うのだろう・・・・・。あの人の人間観察を続けよう。事実を文字にして書くことで何かわかってくるかもしれない。

みんな元気です

新しい職場、みんな元気です。大きな声が飛び交っています。できないなりに、みんなで協力しましょう・・・という雰囲気が感じられます。前の職場は、一人一人がきっちりやっていくという雰囲気がありましたが、職場によっていろいろなカラーがあります。伝統、というものでしょうか。4日ぶりのブログですが、前回のを読み返して、そうだ、のろーいモードでやっていくんだ、と再確認。ついついわたしできます!モードになってしまいます。ダメダメ。一歩引いて一歩引いて・・・。それは自分をみうしなわずに過ごすこと。昨日昼食会で自己紹介をして、急に「好きなタイプの男性は?」という質問に会いました。50も過ぎてるおばさんになんという質問を!!まあ、遼くんが好きだとか、羽生ゆずるがいいとか、昔は郷ひろみのファンだとか落ち着くと浮かぶのですが、そんな落ち着いたコメントを考えることもできず、身近な男性をあげときました。「うちの相方です」と。ひかれたかな・・・。そういう時にどうもテンパってしまいます。前途多難・・・・。

なかなか難しいですが、自分に言い聞かせて、そういう行動パターンを繰り返すことでそんな自分ができてきたらいいなあと思います。実はフルートの先生が、意外とおっとりで、レッスンに行くと「すみません、娘がインフルエンザで。連絡するの忘れてました、すみません。」ということがありました。でも、相手に腹を立たせない人柄なんです。「あ、、いいですいいです」と返したくなる方です。そんな雰囲気を持ち合わせたいものです。

出来なくていいじゃん、少しくらい迷惑かけてもいい。ゆるく楽しく仕事に励みたいと思います。

いよいよ転勤

今日から新しい職場に行きます。ちょっと遠くなったので遅刻しないか心配ですが、頑張って早く出ます。仕事できる自分を装っていた前の職場の私を一段落下げて、のろーい愚図の私を出していけたらいいなあと思います。決してひがんでいるわけではなく、できなくてもいい、それでいて相手に不快を与えない自分でいたいなあと思います。ばたばたすきま縫って仕事するのではなく、すきまはゆとりにしたいなあと思います。眼鏡を変えて、カバンを変えて、まあ、出費はかさみました。今月はピンチです。多分今までの60パーセントくらいの仕事能率を目指したいものです。まあ、仕事が立て込んでくるとそうも言ってられませんが、たてこまないといいなあ・・・。ゆっくりゆっくり・・・。人を待たせたり、チョンボもあると思いますが、それでもいいい、まじめにがんばります。

異動だ~~~

職場の異動が決まりました。一応希望していたのですが、部署は第3希望の部署でした。まあ、わたしは第3に決まったのでまあいいか・・と思っていたのですが、ほかの方の異動状況をみると何か胡散臭いのです。なんと、部長級の中間管理職総入れ替え。支店長のみ居残り。そして、その支店長にはっきりモノ言う社員が左遷ともとられるような異動。支店長の意に沿わぬもの、スパッと切り捨て、そんな感じです。部長級の方にはすごく人間的な方もおられたのですが、1年で異動です。気候と同じで、想定外のことが普通に行われるようになりました。恐ろしいです。その、支店長がおとなしそうな顔で飄々としていて、「いつもすみませんね」と頭の低い人・・・。頭下げながら腹の中真っ黒!怖い人です。その人に人事を任せなければならなかったのがもともと不幸なことですが致し方ありません。

今の職場も長かったので、いい潮時だと思っています。大事な仕事も一段落付きましたし、長くいすぎました。どうしても、若い方が入り、今のご時世の感覚が入り、おまけに支店長は腹黒となれば、「昔はこんなことなかったのに」「前はこうだったのに」と思ってします。今の部署は何か根回しが必要なところで、会議に自分の意見を言う前に某お方の確認を取っておかないといけない雰囲気があるのです。わたしは、その方と馬が合わずしゃべりたくないから根回ししないし、そうすると、知らないところで違うことが決まっていくという何となく生きづらい部署でした。それでも、きちんと仕事はしていました。よく頑張りましたって自分をほめてあげたいです。

そんなこんなで、新しい職場へ行きます。知った顔もあるので、(多分嫌な顔もあると思いますが)緊張はしないで済むかなと思います。今よりちょっと都会になるので、買い物好きなわたしは、ウインドウショッピングで帰りが遅くならないかと心配しています。仕事も忙しくなるのは嫌ですが、まあ、まじめにこつこつやるだけです。仕事っていうのはある意味自分を試せる場であると感じます。家でもコツコツやっていますが、現状保持が基本で、ああやってみたい、こうやってみたいといつもチャレンジするものでもありません。仕事は、毎日今日はこれをしなくちゃ、と思うことあり、また、アクシデントがあってそれをどう乗り越えるか考えたり、失敗して平謝りもありますが、そんな中で個人としての自分でいられる場かなあと思います。年取って疲れてきているのはありますが、家族は「お母さん、がんばって」と言ってくれます。あと少し、がんばってみようと思います。

今日は冷え込むけどいい天気。ちょっと素直にこの天気を喜んでます。明日は友達と温泉旅行です。一人は交通事故で障害を受けられました。もう一人は離婚されましたが、一人息子が結婚して孫もおられます。みんな同級生。そういえば、今の職場に今度部長としてこられる女性が高校の同級生らしい。世の中狭いですね。

「僕の前に道はない  僕の後に道はできる」有名な詩ですが。それぞれにそれぞれの道ができています。でこぼこみち、せまーいみち、意外と平坦で穏やかな道・・・いろんな道があるなあと思います。僕の前に道はない、というのは、無であるということでしょうか。大草原の原っぱのように何もないんです。(作者の意図とは違うと思いますが)そして、自分の前は無限大なんです。そこにどういう道をつけていくか。わたしが歩くしかない。ゆっくりでも、自分の足跡をしっかりつけて歩きます。走ってしまったらそこは道にならない。多分私はあっち行ったりこっち行ったり寄り道だらけの道が付くと思います。そんな道もすごく楽しいと思いませんか。

このメンバーで一泊するのは初めてです。無事楽しく過ごせますように・・・。

 

どんまいどんまいげんまい

CMでこんなんがありました。ちょっと今日は落ち込んでいたので、テレビから「♪どんまいどんまいげんまい」って流れた歌がピットマッチして、心が軽くなりました。何がどう功を奏するかわからないものです。普段聞いていても気にも留めなかっただろうに、昨日は何かピット心に入っていて、悩まんとこっと心軽くなりました。

出会いって不思議ですね。いつもあっている人が突然特別の存在になったり、偶然会ったことが大きな影響を及ぼしたり・・・。縁のご縁を感じます。

こうあるだろうと自分の予想と反したことが起きた時、人はどうするのでしょうか。我慢する、怒る・・・・・。今までは我慢することが多かったのですが、老いてわがままになったせいか怒りをぶつけることも多くなりました。「それ、違うやろ」と主張することです。自分の中の真実が否定されたわけですから、異議申し立ては当然のことだと思って入るのですが、その表現が正しいものではないということも最近感じています。自分の中の真実が本当に真実なのか、という疑問もあるなっと感じています。見方を変えれば他人の判断が真実かもしれません。元来真面目にやってきた人間なので、自分の思っていることは正しいと疑わない自分がいました。なぜ、みんなはこのことに腹立てないのだろうと不思議なこともありました。そして、そんな他人を馬鹿にしたりしました。でも、最近ちょっと違うなあと感じているのです。仕事してると日々いろんなことがあり、いろいろ滅入りがちです。

そんなもやもや感が、どんまいどんまいげんまい、でなぜか払しょくされました。いろいろあるけど、深刻に考えんと楽しくやろう、と思いました。悩んでるのばからしい、何とかなるさ、なんとでもなるさ、そう思わせてくれた一瞬でした。

いい天気だなあ

今日は空が霞がかってまぶしいくらいのいい天気です。なぜか、そんな空を見ると落ち込んでしまいます。不成功防衛、という行動パターンがあるらしい。成功したいという願望があるのに無意識のうちに失敗したいという願望があり不成功に終わってしまうというものであるらしい。幸せになりたいと思っているのにその幸せが現実になりそうだと居心地の悪さを感じて失敗させてしまう。社会に認められることが苦痛になってくる・・・。幸せになるよりはダメな自分であることのほうが落ち着く・・・。

わたしもそんなところがあります。以前同僚を待ってもらうのに車で待ってるというのを、ちょっと時間かかるし田舎の嫁はどうぞどうぞと家に上がってもらうのが礼儀みたいなこともあり家に上がってもらいました。勿論家を見てほしかったのもあったと思います。同僚は暖炉のある家を見てまあ、感心されたのですが、それを期待していたにもかかわらず、実際「すごいね」とほめてもらうとほんとに居心地が悪かったのを覚えています。プライベートを知られたという嫌悪感もあったかな。ほめてほしいくせにほめられるとなんか嫌になります。いつも、あれはいやだ、こいつはだめだ・・・なんて文句言ってることが自分は落ち着いている気がします。

別にそのことで他人に迷惑かけているわけではないので、わたしはわたしで満足しています。生い立ち・・・というとらえ方もできますが、遺伝子のような気がします。他人や周りをどうとらえるか・・・。のんきにあることないことわーわーしゃべる人もいれば、わたしはそんな人間にはどう考えたってなれないと思うし、もって生まれたもんです。そんな自分と自分なりに付き合うしかありません。「今日って、すごくきもちいいとおもわへん?」と騒ぐ輩には「ほんとやねー」と適当に合図地を打ち流します。「いや、このまぶしさが嫌なんです」なんて、わざわざいう必要ないし。

世の中人間関係が大事やというけど、人間関係ってそんなに大事じゃないんじゃないでしょうか。万人と仲良くできるなんてありえない。基本、相手を攻撃したりいじめたりはしてないし。人のかかわりにおべっか使って自分がしんどくなるのならやめたほうがいいですよね。自分が心地いいことをいっぱいして、人生を楽しめたらいいですね。ちなみにわたしの心地いいことは、しなければならないことを消化していくことかな。あんまり遊びたいとは思わない。仕事を頑張って片付けられたり、草むしりしてきれいにしたり、楽器吹いたり絵本読んだり・・・。先日読んだ川柳に「いやなこと いやだといって 勝ち組に」というのがありました。そこまであつかましくはなれませんが、いい人ぶっている自分も、陰で悪口言っている自分もどちらも大切な自分です。日々の日常を大事にして地道に消化生活を送っていくことを大切にしたいものです。

今、家族にありがとうって思っています。

あまりにいい天気な話から、とんだ話になってしまいました・・・・・・・・・・・。

春先

大きなイベントが終わって今は安堵感です。この、年度替わりは人によっていろいろな心の変化をもたらします。一般的に暖かくなり活動しやすくなってウキウキする人が多いのでしょう。わたしの仕事も年度替わりが切り替わりなので、ああ、1年が終わる、とうれしくなります。また、4月から新しいチームになるので、今度はどんなメンバーになるか楽しみです。(若干自分で選択できる要素があるので、それが楽しみかも・・)わたしは、みんなそうかと思っていましたが、ある人は、すごく憂鬱になるとおっしゃっていて、すごくびっくりしました。次のことがどうなるんだろうと心配になるそうなんです。この違いはどこから来るんだろう。わたしの仕事がいやいやしているから終わってうれしいのだろうか。その人は変化することが苦手なのだろうか。仕事の姿勢か、本来持っておるものなのか・・・。とりあえず、人の感じ方は千差万別ということを改めて感じました。ホラーが面白くて好きだという人もいるのだから、世の中自分の価値観だけで判断すると大きな失敗をしてしまいます。

今年の相方も大変でした。若い若い方ですが、イライラさせられることが多くて・・・。ぱっと動かへんとか、ぼそぼそしゃべるとか、いちいち確認するとかいろいろ腹立つことはありましたが、何が一番引っかかるかというと、肝心なことを言わないということです。「これこれ、こうしました」と報告を受けますが、実はそれは自分で判断したのではなくてある方から指示されたことだったり・・・。ふつう、Aさんからこう言われたのでこうさせていただきましたって言うでしょ。そうするとこっちはAさんに、「ありがとう」の一言もいうし、なるほど、Aさんの助言があったからそうしたんやな、と相方の行動にも納得するし・・・。でも相方はそうやって回りに声掛けしてもらったことを言わずにあたかも自分で気が付いてやったかのような言い方をするのがとても気になります。「なんかもめて、取引先が怒らったそうです」。Bさんに聞くと「いやー大変やったよ、あそこは、こういうことが大っ嫌いやからおさめるのが大変やった。」と大事感をちゃんと出してくれて、「そうやったんや、ありがとうございます」と頭下げますやんか。相方は、そういうことの客観的重大さをださないんです。だから、相方の説明を聞いてもどういうことが起きているのかわからないのです。最近は相方の文言を真に受けず、そしてどうやったん?と繰り返し聞くことにしました。何回も聞いていく中でやっと本質を話してくれるのです。面倒くさい。社会性に欠けるというか・・・。そういう人ほど対外的な挨拶は得意で、もっともらしいこと言うし・・・。(これは、挨拶が苦手な私のやっかみ・・・・)

朝から、人の悪口言ってたらあかんよね。でも、吐露させてください。何が言いたいかというと、私の価値観での相方のとらえ方であって、そんな相方を気に入る人もいるでしょう。わたしはそう思うけど、それが絶対ではなくて違う人は違う見方をするんでしょうね。だから、わたしは、まあ、相方さん、適当にやって・・・。わたしとあなたは違います、というスタンスにたつよう心がけます。相手に自分(の価値観を)を投影しようとするからしんどいのですね。うまく世渡りしている人は自分を相手に投影しないのでしょうね。人間的には投影してしまう人のほうが人間的だと思いますが、おせっかいというか・・・、仕事にこだわるからというか・・・、それは、ほんとにしんどいです。

肩の力抜かなきゃ。お互い同じ地球人。ぼちぼちいこ・・・・・・・・・・・・・。

 

疲れマックス

明後日に大きなイベントがあり、その準備で先週から忙しく疲れマックスです。昨夜はなぜかしら寝つけずに、姉ちゃんの邪魔しに行き、録画のドラマみて寝ました。今朝は頭ぼんやりなのにキーンと冴え感もあり、ああ・・・疲れてるぞ、と自覚した次第です。聴覚が過敏になるのですね。何か音が聞こえると、誰かが泣いてるんかな、急にお客さんが来てるんやろか、夫が怒ってるんやろか・・・、何の音やろ、と不安になります。不安度自体はわずかなものなので支障はないのですが、とにかく昨夜は寝付けませんでした。精神状況が肉体に及ぼす影響ってすごいですね。今日はすごく体動かして眠たくなるだろうと思っていてもビンビンに眼が冴えたりします。過労死って、最近言いませんが、疲れていることがわからなくなるって聞いたことがあり、そういうことってあるんだろうなあとわかるようになりました。そして思います。適当に仕事さぼろ・・。まあ、でも明後日まではとにかくやりきらなきゃ。あと一頑張です。

その仕事でちょっとわたしの技量に及ばない作業があり、パソコン通の姉ちゃんに仕事依頼しました。まあ、その出来がすばらしい。パソコンの技術に芸大のセンスも合わさって、いいものを作ってくれました。ほんとにいろんなことができるんですね。感動です。おかげさまです。代金奮発しますよ。助かりましたーーーー。