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そういえば

前回の記事を見て、成功の遺伝史を探すことになってたんだ・・・。すっかり忘れてました。成功どころか、昨日は仕事休みました。前の晩に寝る時、「ああ、明日行きたくない、行きたくない。でも〇〇もあるし・・・。でも、いや。休も。」と決断して寝ました。そして、半日休み。でも、その休みでも家で仕事してたんですけど・・・。職場の〇〇に会うのがいやだって、まるで子どもですね。でも、ほんとにいやだった・・・。今もいやだけど、今日は行きます。わたしの心のリセットの仕方は、「もう、なーんも言わんとこ」です。あれも気になり、これも気になり文句言いたいところだけどそれを言うと角が立つし、バンバン言って仕切るほどの人間でもないし、ぐっと我慢して我慢して「もういやだー」になることが多く、家では大爆発することが多いですが、職場で爆発するわけにもいかずそこは「どうでもいいや」モードに自分を持っていきます。そうすると気持ち楽になります。今日は、「もー、どーでもいい。わたしゃ、なーんもいわんしー」とリセットして職場に行きます。

今日はお雛様。ケーキ屋の大福買ったのでそれを食べるのが楽しみです。そして、姉ちゃんのおっもろい話がわたしのオアシスです。シュエちゃんの、無理にかまわれたときの、いったん引き下がり、すっと戻ってきて一発パンチして反撃する姿もオアシスです。夫は・・・・・、今日はやーれんのや、というのがオアシス(?)。

ほんと、仕事が立て込んでうつ気味。はやく終わらんかなあ。でもまた、来年度忙しいやろなあ。

いよいよ春めいてきました。多分すぐ夏日が観測されることでしょう。今年の冬はゆきがすくなかったよ・・・。うすーい冬でした。

読売テレビ

今日の読売テレビの番組、「成功の遺伝史」おもしろかったです。遺伝子を「遺伝史」とおきかえるところなんぞ、誰が考えたのでしょうね。そして、それぞれに生きる支えになっている人がいるというのは、誰しも自分の力だけで生きているわけではないんだなあと、ほっとします。わたしも全部見たわけでなくちら見でしたが、記憶に残っているのは利根川進(だったかな)。山中伸哉の質問に答えた「おもしろかったらやればいい」みたいな話でした。普通の人が言っても説得力ないですが、ノーベル賞の学者が言うのには説得力があります。一つのことを突き詰めるのが研究者じゃなくて、いとも簡単に「おもしろいことやれ」っていうのは、あるべき姿をくずせ、と言われたようでずこっときました。他にも、苦しいときにテレビで見たある人に励まされるって、運命としか言いようがありません。その時、その人に出会うって偶然ですもの。青学の監督が三浦和良に励まされた話とか、成功している人も、誰かの力を借りて前に進むことができているんですね。読売テレビ、巨人が好きでないし、思想的にも好きじゃなかったけど、テレビはよく見てしまいます。おもしろいです。

わたしの遺伝史は誰か・・・。次回にかけるかな・・・・・。

 

ありがとう

昨日は5〇歳の誕生日でした。朝起きた時は夫はゴルフに出ていて顔を合わさず、いつもの朝で、特に変わりなく主婦業に専念していました。午後から出かけていたのですが、その間に娘と夫が相談して、夕食準備をしてくれました。夫はお肉を、娘はケーキを買いに行ってくれたそうです。わたしが帰宅すると、お母さんはそこに座っとき、と言ってくれて、二人で夕食の準備をしてくれました。何がよかったって、二人がああでもない、こうでもないと家族らしく振舞えていたことにうれしくなりました。夫は「わしがこうする」と言えばお前らはそれに従え的な人でしたので、お互いがやり取りするなんて難しい人ですので、娘とのやりとりがあまりに自然でこんな家庭にしたかったなあと思ったこと、それが目の前で見られたことがうれしかったです。いい誕生日になりました。

この3月で結婚して30年になります。10年ほど舅姑と一緒でした。正直苦痛でしたね。夫は10時ごろしか帰ってこないし。10年目に舅がなくなり、その時に4か月の3人目がいて、親戚が多かったものですから葬式から始まり何かと大変でした。その子が11か月で姑が脳梗塞で倒れ、急きょ保育園を探して入れて仕事に復帰。仕事もあり、1歳児もいて、脳梗塞の姑もいて・・・。家はてんてこ舞いでした。ゴミ出しや洗濯物入れなど、娘と長男に使命のように頼んで、舅は造園業をしていたので何かとその後始末も大変で、夫はいらいらして怒鳴り散らすわで、今仕事を続けられるのは娘と長男がいなければやっていけなかったと思います。そんな状態でしたが、年寄りとの関係が逆転して自分の思ったことができるようになり、まず1番にしたかったことが職種の違うしごとにつきたかったのです。同じ系列ですが、仕事内容は違います。ほんとはその仕事がしたかったのにちがう部署に回されたので、ずっとその仕事には憧れていました。ただ、その仕事は大変で早く帰れないこともありました。ただでさえ大変な状況の中、舅が亡くなってから4年ほどしてから思い切ってそっちの道に希望をだし移動しました。楽しかったです。今でも、その4年間はわたしの宝です。でも、平日は12時間働いていました。土日も仕事してることが多く、子どものことはほったらかしだったかもしれません。夫が夕食を担当し、わたしは毎日8時の帰宅でした。3人目を寝させて仕事して・・・。舅が亡くなって10年は娘と長男とどんな会話をしていたのか思い出せないくらいです。でも、二人とも弟をかわいがってくれて、家の仕事も文句も言わずにしてくれて・・・。子どもに甘えていたのでしょうね。不服ながらもやってくれた子どもたちでした。今は、ごめんなさいと娘と長男にいいたいです。

わたしが、あれやりたいこれやりたいと好き勝手なことしてばかりで・・・。

30年たって少なからず反省している次第です。ごめん・・・。

自然体

昨日のブログはいいこと書いたかな・・・と思いましたが、姉ちゃんにはあんまり・・・だったようです。なんか、説教じみるんですね。職業柄「これはいいね」とか「よくがんばったね」とか評価する言葉が多いので、ついそういういい方になってしまいます。先日しげちゃん一座の絵本を酷評したところなのに。説教じみたことはうるさいだけですよね。自分の感想を述べるって難しいものです。自分が奢っていたら感想は述べられません。社交辞令を述べることになります。そして、自分が貧しくても感想は言えません。批判してしまいます。感想というのは、まず、相手のものに対する全幅の信頼があってこそ。どんなに稚拙な作品でも相手が作ったというそのことへの信頼がないと自分がピュアになって思ったことを言えないものです。まるで評論家のように「ここはいいけど、ここをもう少しこうしたらいい」なんて言ってしまうものです。私自身がそうなので、自己嫌悪になります。

人間関係でも、相手のマイナス面をつい見てしまう。今までは、それがきちっと見極める力だと思っていましたが、人間誰だってできないことだらけなのですから、マイナス面なんていくらでもあります。「あの人、こういうところあるよなあ」と並べ立ててもそれは人間観察が優れているとはいえないと最近思います。そこを飲み込んで、相手への信頼という土壌が豊かになってこそ、その人への感想が言えるのでしょう。わたしはまだまだですね。

相手を分析するより自分の土壌を豊かにしていくよう、精進したいと思います。

姉ちゃんは昨日京都へ行って春画を見てきたとか・・。もちろん美術館で。おみくじ引いて小吉で意気消沈・・・。そんな話を聞きながらいろんなことをはっきり言ってくれるようになった感じがした。自分の考えをいろいろはっきりいってくれる。おしゃべりは楽しいです。

今週もあと2日。は~・・・・・・・・。

 

お疲れ様

姉ちゃんの作ったお菓子の家は大好評で大盛り上がり。買ったらウンゼン円はするでしょう。そして「えっ、手作り???」という驚きと親近感。手作りのよさはなんというか暖かさがありますよね。

今は皮のカバンを製作中。それに、なんやら挑発してくるやからがいるらしい。うっさいものだ。相手はそうやっていろんな手作り派を「そんなめんどくさいことしてんと、こっちの商品買いなはれ」と売り込んでいるのかもしれない。まあ、相手も商売だから製品紹介はいたしかたないが、やりかたは陰険かな。その陰険さに姉ちゃんはまたまたネガティブ姉ちゃんになってしまった。実際のかばんの写真を見せてもらったが、相手のは、別にただの、ほんとにただのかばんだった。そりゃ、大量生産される一定のデザインもあったが、姉ちゃんのかばんと張り合うようなものではないような気がした。姉ちゃんが一生懸命に製作した分だけそういうことには敏感になるのだろう。でも、大量生産のカバンと手作りのカバンはもともとの存在価値が違う。「手作り」はほんとによく言われるがこの世に一つしかないものである。同じものはないのである。それが、商品になるほど優れているということは、その値打ちは計り知れない。そして作り手はその商品に気持ちを込める。見えない何かがつながって「惚れて」買ってくれる人がいる。

作家はそのことではぶれてはいけないと思う。百均に行けばほとんど揃う時代。ン万円のコップの作家が「百円でもコップあるしなあ・・・」なんて思ったら製品の輝きが薄れるのではないだろうか。手作り作家はとにかく自信を持って作ってほしいなあと思う。

そんな姉ちゃんは、ツイッターを遮断したらしい。もう関わりたくないと。そうやって、いろいろな出来事に自分が沈みがちなのを何とか浮揚させようと絶えず努力している。嫌なものがあったら自分の立ち位置を変えるということは案外生きやすいかも。うんこがあるのにそれを踏む人はいない。ちょっと避けたり、うんと大回りしたり、回り道を行ったり、時には後戻りすることもあるだろう。とにかく、うんこ踏んでしまったらおおごとだ。それは、ずるいことでもなんでもなく自分を愛するからこその選択。姉ちゃんは今までそういう「困った」選択をせず直球で生きてきたので、苦しくてもストライクめがけて投げてしまいがち。でも、今、どうボールを投げてこのピンチを乗り越えようかと、どう歩いてうんこを踏まないようにするかと考えられるようになったと思う。

いろいろ落ち込むことあるけど大丈夫。姉ちゃんの作品は心のぬくもりを感じる。それを信じて、手間暇かけてゆっくりいい作品を作ってほしいなあと思う。

うんこの例はデリカシーなさすぎ!?気に障ったらすみません。

しげちゃん一座

昨日コープの企画でしげちゃん一座の講演があり行ってきました。衣装が素敵でした。個性的で。新作の絵本読み聞かせをされましたが、音楽を入れてとても絵本の世界がゴージャスになってよかったです。でも、長くて眠かったです。Nさん曰く、「説教じみた内容やでおもしろさがない」とすっぱり切っていました。同感・・・。でも、「しげちゃん」と「へいわってすてきだね」は、後半の疲れた時間での読み聞かせでしたが空気がぐっと引き締まり聞き惚れました。いい作品はいいんですね。

そんなこんなで楽しかったけど疲れた体で帰宅。姉ちゃんはなんと、クッキーでの家つくりをしていました。昨日の買い物でクリスマス用のお菓子つくりのキットが半額くらいで売っていたのを「一回作りたかった」といって購入したんです。まあ、私には気の遠くなる代物です。クッキー生地を作って家の部品にカットして焼いて・・・。なぜそんなことができる!?と思う行程です。それを言うと、「型紙切から始まるんやで」と姉ちゃん。「ひょえ~」。でも、出来上がったものは写真と同じようなものができていました。お見事。わが子とは思えない器用さ。誰に似たんかなあ。わたしの実家系は、私の姉が意外と器用です。そこら辺の遺伝子かなあ。いや、夫のほうは、お義父さんが庭師で判断する感覚はぴか一でした。あゆ炊きも上手だったし。ばあちゃんは裁縫は器用です。料理はブーですが。

ほんとにお疲れ様でした。念願のお菓子の家つくりがかなって何よりです。今日はぐったりでしょうね。寒くなるって言ってたからまあ、ごろごろしてたほうがよいかも。

ほんとに立派なもんです。おみそれしました。

うちの姉ちゃんは日本一パート2

金曜日、まめ夫の夫がるすでした。わたしも仕事で遅くなったのですが、姉ちゃんがちゃんと暖炉つけてお風呂いれて準備してくれていました。ここぞという時、ほんとにやってくれる姉ちゃんなんです。ストレッチもぼちぼち続けているようです。昨日は買い物に出かけました。何かないと布団にもぐってしまうので、強引に買い物に誘い冬物バーゲン見てきました。ユニクロさん、ありがとう。安く手に入りました。

最近姉ちゃんは「わたしはみみず・・・。」と言います。せめてもぐらに、せめて蛙のなれたら・・といいます。みみずはみみずのよさが、もぐらはもぐらのよさがあって、それぞれがいるから地球は回っていると思うのですが、姉ちゃんはそれぞれの存在より周りのとの関連性をどうやらそうたとえているようです。

わたしからすればどこがどうみみずなのかよくわからないくらいです。いろんなことが器用で考え方もしっかりしていて気配りもできるし「それおもろい」というポイントも粋だし・・・。一生懸命だから、考えすぎだから勢い余ることはあるけど、それは誰だってあることですよね。ああ、やってしまった・・・ということはよくあります。そこの立ち直りが意外と時間がかかって本人は苦しいようです。まだまだ苦しいかもしれないけれど、今、一生懸命頑張っているので応援しようとおもいます。

みみず話

「わたしはみみずや」

「みみずのおかげで土は肥えるんやで」

「でも、まわりは真っ暗や」

「外に出たらええやん、みみずも出とるで」

「外に出たみみずはひからびとるやん」

「・・・・・」

今、書きながら笑っているわたしです。話のつっこみ、日本一の姉ちゃんです。

 

うちの姉ちゃんは日本一

うちの姉ちゃんは日本一です。この前、父親がスキーの仕事だった日に、寒いだろうからとお風呂を準備してくれました。心配りがすごいんです。人に命令しません。すごく控えめなんです。ツイッターのコメントやデッサンがすごくかわいいのです。しゃべってるとおもろいのです。とにかく、心優しい女性だと思います。わたしは、それが一番だと思います。ただ、優しすぎて本当の自分を押し殺してしまい、与えられた自分の姿で周りに一生懸命合わせてくれたので、今自分が自分になろうと苦労しているように思います。ほんとに大変だったね。でも、心の色はすごく淡い優しいピンクの持ち主です。

うちの第一弟もいいやつです。剣のような行動をとっていますが心はとても優しいです。この前こんにゃく畑を食べようとしたら「のど、つめんときや」と言ってくれました。うれしかったです。色は・・・少年の純真さを残している黄緑かな。

第二弟もいいやつです。いろいろあって、あの子なりに大人になっていってます。包み込んでくれる優しさがあります。反面アマちゃん部分もあり色は・・・ショッキングピンク!?

まあ、個人の感想ですのでいろいろ異論はあると思いますが、鬼のような母親でも、3人の子どものことは大好きです。孫が欲しいとかあんまり思わない。やはりわが子のことが一番好きですね。わが子が元気ならそれがうれしいです。

昨夜の夢、なぜか母校(高校)を再受験して合格し、また、高校生を始めるという内容でした。また、高校生として勉強できるんや、今度は英語を頑張って外語大学へ行きたいなあ、とか考えながら校舎を一人で歩いているところで目覚ましに起こされました。歩いてる時の気持ちがとてもおだやかで、うれしくて、すごく満たされたきもちでした。廊下の風景まではっきり映像として映っていました。なんで、こんな夢見たのかな・・・。青春の甘酸っぱい感傷を夢で味わうことができました。ありがとう。現実は相変わらずですが、今日もがんばります。

運勢はどうかな???

時代パート2

先日力尽きて途中になってしまった「時代」。大学の卒業式や成人式に親がついていく。昔はなかったことだけど “これも時代やね” 。若い男性社員が「今日はご苦労様」と労をねぎらってポッキーを渡している。 “これも時代やね” 。高校生が毎日のように親に送ってもらっている。 “これも時代やね” 。昔やったら「何考えてるん!」と言われそうなことが、「時代」が変わり市民権を得ている。50過ぎのおばさんには生きずらい世間である。いや、実はその時代の波におばさんものっかてるところはある。

中島みゆき「時代」をアルバムで聞いた。そんな好きな歌ではないが、その歌に励ましてもらったこともある。そのアルバムの歌が、一部若い時の声も入っていて今の声も入っているという編曲で、なんと今の声の艶っぽいこと。年齢を重ねることの素晴らしさを実感した曲でした。そして、今日の朝日新聞中島みゆきが出ているではありませんか。

『時の流れがね、落っことしていったものを一番後ろから拾いながらトボトボと行くっていうのが、私にはあってるかなって思うんです  中島みゆき

わかるようなわからないような、私自身にぴたっとはこないんですが、これはNHKのSONGSでの発言らしい。実はそれ録画していて見たんです。そして、感動して録画を消せずに置いておくんです。なんという偶然!!SONGSに感動したのはこの言葉ではなくて、今中島みゆきが夜会(だったかな)で、あるテーマを力強く訴えていることに感動したのです。なにか・・・。それは「平和」でした。

「平和」っていう言葉はすぐにイデオロギーが(これも時代で死語になりつつあるのか)対立してなかなか素直に受け入れられない現実があると思うのですが、中島みゆきさんが平和をテーマに語っているのはすごいと思いました。以前に、桑田佳祐が平和をテーマにした曲を歌ったけど、なんか評判が分かれた感じがします。「平和」ってホントに難しい。でも、中島みゆきさんも、桑田佳祐さんもよいお年になって、何を望むかと言えば「このまま平和な世の中であってほしい」ということじゃないないでしょうか。これは誰だってそう思いますよね。でも、言葉にすると、平和って非国民のように受け取られる側面があります。何故なんでしょう。

絵本作家から歌手から僧侶から著名な作家から、平和を望む声が大きくなるのは本当にありがたいことです。私ごときが「とにかく平和であってほしい、戦争しないでほしい」なんて思っても何の足しにもなりません。

今、世界は緊張状態で、なんかいつ戦争が起きてもおかしくないような雰囲気です。自民党が躍起に憲法を変えて戦力を持とうとするのは、裏に北朝鮮かどこかは知りませんが、危機的なことが何か裏で動いているのではないかと思います。それでも、日本の平和憲法は維持してほしいと願わざるを得ません。

「これだけ経済も行きづまり、テロのしたい放題で、平和的解決なんて言ってる時代じゃないよ」そんな声が聞こえてきそうです。でも、戦争はだめです。時代の勢いで「人を大事にする」「人を思いやる」ことをないがしろにしては人が人でなくなります。

今は、情動よりも成果のほうが重んじられる。「疲れた」ということさえ許されなくなっている。今のブラックな社会を、まず、「ブラック」として認識しませんか。疲れて休めないなんておかしい。子どもが病気なのに、病気を見て預かってくれるところに預けて仕事に行くなんておかしい。

時代に流されないようにとにかくブログで抵抗しています。誰もアカウントしれくれませんが・・・・。

ひとりぼっち

あの子が 泣く

いじめられる といって 泣く

好きな人と 別れて ひとりぼっちだと 言って 泣く

ちがうのに ちがうのに

わたしも いるのに あのひとも いるのに

でも あの子の 心の 空洞は

暗くて 深くて・・・

わたしでは うめられないのかも しれない

好きな人と 別れるといった あの子

そう決めた あの子の 心は

少し 強くなっていると思う

心細さで 気づかないかも しれないけど

自分で自分を 受け止めようと 必死なのでは・・

いや、気づいているのかもしれない

気づいていて でも 不安で不安で

泣くのかもしれない

だいじょうぶ

あの子は その不安が すべてではないと 感じることで

自分の力を信じて 歩き出すだろう

冬に咲いた あの 白いバラのように

あの子に 温室はいらない 豊かな土壌と 暖かい肥料で

しっかり根を張らせ そして 咲く

あの 白い バラのように 

 

時代

「時代が変わったのよ」むか~しによくそんな言葉を聞いていて、あまり気にも留めなかったのですが、最近その言葉がまさしく実感!!になっています。今思えば一番初めに感じたのは「落とし」をしない家庭があったということ。「落とし」というのは、炊飯器でご飯を炊くとまわりにご飯がこびりつくので、お湯をコップ一杯くらい入れてご飯しゃもじで周りをきれいにして、茶わんに入れてそのご飯を食べるという行為です。それをしないということは、ご飯のこびりついた炊飯器をそのまま洗い、米粒を流してしまうことになるのです。20代だったでしょうか、落としをしない家庭があると聞いて驚いたのですが、うちが』炊飯器を新しくしてその意味がわかりました。なんと、炊飯器はテフロン加工になっていたのです。それならきれいにご飯が取れて落としの必要はありません。ご飯粒を捨てるなんと横着な家庭やと批判していたのですが、時代は「落とし」を死語にしていきました。そして昨今のネット社会は、ほんとにもうついていけません。欲しいものが家で検索して注文すると届くんです。家から出なくてもいろんなものが手に入ります。大型のものなどちゃんと玄関で受け取ることができます。生協も「個配」なんて、玄関に届けてくれるようになりました。便利になりました。

そんな時代の変化をもっといろんな面から考えたかったのですが、ちょっと頭が回らない時間になりましたので、休むことにします。ごめんなさい。

次回に・・・・・。

2月

2月になりました。2月はほかの月と何となくカラーが違います。なぜかというとわたしの誕生月だからです。わたしはこの2月が好きです。冬の雪のイメージがあり、物静かで静寂な感じがします。誕生石はアメジスト。あの紫の色も大好きです。いい月に生まれさせてもらったものだと感謝しています。

最近はいろんなお店から「お誕生日おめでとうございます。〇%割引します!」なんてはがきがさっそく届き、もう祝ってもらう年でもないとそれだけでもうれしく感じます。

小さいころは、ケーキは買ってもらえたけどプレゼントとして何かもらった記憶はありません。その時代、ケーキがあるだけでもまずまずの家庭だったと思います。田舎の農家でしたからおしゃれなことは何もありませんでした。親になり、子どもたちにいろいろ買ってきましたが、子どもたちはどう思っていることやら・・・。「こんなんほしくないのに」と思っていたかも。子どもたちの時代はゲーム全盛期で、とにかくゲームを欲しがりました。でも、親としてその時代「ゲームは悪だ」という考えもあり、特に教育熱心な方ほど、テレビの前で座り続けピッピ、ピッピと手指だけ動かす遊びは子どもを退化させるという反対の方が多く、わたしとしても何とかゲームへの接触は最小限に抑えたいとゲームへの要望は抑え込んでいました。あんな頑固にならんでよかったのかなと今は子どもに申し訳ない気持ちもあります。

夫は何かしら感謝の気持ちを表そうとわたし用のケーキを買ってくれたり食事に出かけたりいろいろしてくれました。でもちょっとポイントがずれてるんです。わたしって、ステイタスに憧れるタイプなので、誕生日はおしゃれしてフランス料理でも食べたいですが、夫は寿司で一杯が大好きで何かと言えば寿司。まあ、いやいや付き合わせるより寿司で喜んでいる夫を見るほうがいいのでフランス料理は封印して家族みんなで寿司屋にいったりしてたかな。そんな気持ちの微妙なずれがあり、わたしが夫の誘い掛けに乗らなくなったので、「マメ夫」と言われる夫も誘わなくなりましたけど。でも、「お母さんの誕生日やでこれこうてきた」とケーキを見せられると、それはそれでありがとう!と思います。スーパーのケーキで少し豪華なやつ・・・・・。う~ん、ケーキ屋のケーキがいいけど・・、それは言うまい。

プレゼントって難しいですね。わたしはもらうとお返ししんならんと考えてしまうので、変にもらうと「ありがとう」と思う反面、ちょっと複雑な感情になります。だからわたしもむやみやたらにあげません。特に職場でのお菓子のやり取りには閉口します。チョコ、1個2個をやりとりするのに、いつ渡そう、このまえあんだけもらったし、今度はこれくらい返しといたらいいかな、いや、ちょっと少ないかな・・・。なんてショウもないことで迷わなくてはならないのが疲れます。

でも、あげたい!!って思う人もいますよね。ある女性の同僚の方が産休で休まれるのに「ありがとう」の気持ちを伝えたくてミニ花束をお渡ししました。その方は前回の妊娠が死産でご苦労された方です。しみじみと「普通に生まれてくるってすごいことなんやね。生まれたいって思ってたやろに。」と何とはなしに言われたことが何となく心に残り、おなかの子の気持ちに思いをはせられたことがわたしには大事なことを教えてもらった気がして感謝した次第です。今回無事出産され何よりです。

今日は2日。いい2月になるといいです。仕事のほうがちょっと大変なことが重なっているので、なんとかうまく乗り越えられること祈ります。なまんだぶ~。

シュエリちゃんのいたずら

家には似つかわしくない血統書つきの猫がいます。ノルウェージャン・・・という種で白が基調でちょっと茶色と黒が混ざった毛長の猫です。1歳3か月。最初はおびえてかエサも食べなかったのが、最近は「腹減った~」と顔見れば言っているようなやんちゃ娘になり、いろいろいたずらも盛んです。まあ、リビングのソファやテーブルの脚でつめをカリカリするし、ほってあるナイロン袋にむかって爪を立てようとするし、すきあらばテーブルの上をのっしのっしと歩こうとするし・・・。あと、カーテンをかじかじと噛むのも好きです。フロアーに置いてある新聞や封筒などもカジカジ。大事な書類もうっかり置いとけません。でも、程度は少しなのでほっておいたら、先日なぜか書類入れの引き出しを開けてカードをカジカジするという行動に出て、飼い主の姉ちゃんがカードの保持者(父)に謝罪する(?)という事態が発生しました。しゅえちゃん、よくぞあのかわいい右足で引き出しを開けて、中をくんくんのぞいて「おっ、四角い噛み応えのあるものがあるぞ!」と発見し、かみかみしたものだ、と情景を思い浮かべるとほほえましいのですが、男というものはそんな母性はなく、そんなこと言ったら逆切れされそうなので黙っていましたが、猫ちゃんですもの、それなりのいたずらは仕方ないですよね。生ごみもあるのですが、それや、ごみ箱あさりもしないのでいい猫ちゃんだと思っています。でも、新聞や紙が好きなのは????です。あと、冷蔵庫の隅の小さな空間だとか箱の中だとかそんなところも好きなんですね。不思議な生き物です。抱かれるのが嫌いですぐ逃げようとします。甘えたくて寄ってくるけど撫でようとするとさっと身を引く・・。家の中をあっちいったりこっちへきたりしつつ、うちの家族と一緒にいたがるかわいいミニ家族です。

スマップ

昨日はスマスマでスマップが生出演するということで話題に。すごく興味があったけど、毎日5時起きの私には見るの無理!と思い布団に入りました。ところが、夕食前のヨーグルトがきいたのか何やらお腹がごろごろ、下腹が痛い・・・。布団に出るのは寒いので「このまま寝てしまえ!」とばかりに目をつむりましたがどうもよろしくなくて11時過ぎにトイレに走るはめに。これなら、起きてスマスマ見とくべきやった、と後悔しつつも、昨今は便利になったもので布団の中でスマホを見るとご親切に一人一人のコメントが掲載されていて、大体は確認した次第です。

詳しいことはわかりませんが、いろんなコメンテイターの話の中で共感したのは、「スマップの5人が被害者・・・」というコメント。

わたしの職場でもお偉方の関係というのは、何ともわびしくさみしいものです。上にははむかえない。本意と反対のことでも上から言われたらせざるを得ない。そして、下々のものが反発しようなら、一番上は2番目に説明責任を負わせ、2番目管理職はあたふたしながら下々に難癖をつけ取り繕うとする・・・。これは日本だけのものなんでしょうか?封建社会そのものです。(久しぶりに封建社会なんて言葉使った・・・)

ほんとに未来は暗いです。

スマップも解散回避なんて報道ですが、こんなにこじれうまくいくのでしょうか。木村さんの中心位置が何か力関係物語っているようで、うさんくさいです。4人ともいい大人なんだから、事務所あってのタレントなんてこと重々承知のはず。よほどのことがあったとしか思えない。よほどのことを、よほどのことやって言ったらはみにされてしまった・・・。うちの職場と重ねるとそんな感じがしてなりません。まあ、ほんとのところはわかりませんけどね。

まあ、スマップが今後どうなるのか、社会の縮図として拝見させていただきます。おおっ、こういう人間関係の築き方、自己の納得のさせ方、周りへのアピールの仕方があるんや、と驚かせてくれたらうれしいです。

おばちゃんのたわごとでした。

センター試験

今年も大学入試センター試験がありました。昨年はうちの次男も受けていたので身近なものでしたが、過ぎてしまうとセンター試験の世界って遠いものです。あっそう、ていう感じ。ニュースも見ない。一部の世界なんですね。

とはいっても、昨年は必死でした。ころころ制度も変わるのでどうなっているのか、子どもに聞いてもまともに答えてくれないし、とにかく会場への送り迎えを必死でしました。雪降りの中迎えに行ったのを覚えています。送っていくときは、出会う信号機がすっすっと青になるので「これはついているぞ」また、前の車が「・・・7」というナンバーだったので、「こりゃ、縁起がいい」と喜んだのを覚えています。しかし、なかなか点数及ばず第1志望には入れませんでしたが、周りの現象と本質とはまったく別物だということを再認識しました。「たまたま」「ぐうぜん」ということが意外とよくあって困ります。うちの近所に同級生の子どもさんが嫁いできたとか、旅行に行ってばったり知り合いに出会ったとか、「絶対なんかつながってるで・・」と思わざるを得ないような偶然があります。世の中面白いものですね。人生のスパイスというか意外な味をつけてくれます。そういう偶然が何か畏敬の念を持たせるのです。「悪いことしたらあかんな・・・」

でも、なんかありそうでないのが偶然。「これは・・」といいこと期待しても何も起こらなかったり裏切られることも何回もありました。そういう時は、まあ、周りの状況に振り回されたらあかんなあ、自分がしっかりしないと、と今度は自戒の念を持つことになります。あれだけ調子よかったセンター試験への往路。あれはなんやったんやと思わざるを得ませんが、そんなことで試験が変わるほど試験は極めて現実的なものだということでしょうか。結局帰るところは自分ですね。自分のできることするしかないよなあ、と納得させています。

次男はいろんな思いがあったでしょうが、今、一生懸命頑張っています。がんばれ、でも無理するな、と心の中でエールを送るしかできません。

世の中の「偶然」は畏敬の念と自戒の念を知らず知らずに教えてくれているということに書いてみて気づきました。大げさ????