クリスマスリース

うちのような田舎の玄関にもクリスマスリースを飾っています。最初はお花屋さんで買った結構高くついた赤いリース。リース自体はすごく落ち着いた色で高級感もあっていいのですが、うちの田舎の家は茶系統なのでいまいち目立たないなあと思っていました。それが、3,4年でぽろぽろ松ぼっくりが落ちてくるという結果になり、買い替えようか・・・・・と思案中の今年のクリスマスでした。とりあえず、それを飾ってはいたのですが、昨日ニトリに出かけたところ、姉ちゃんが安いリースの飾りつけ備品のセットを見つけました。木の実の殻と松ぼっくりがたくさん入っていて、あとちらちらと葉っぱや何やらが入っている品物。「お母さん、リース作ったげよ」というのです。作品つくりは趣味を超えて営業になりそうな腕の持ち主ですので期待はしていましたが、なんと、一晩で素敵なリースを作ってくれました。さすが姉ちゃん!!!!!。いい、クリスマスが来ますように・・・・・・・・・・・・・・・・・

久しぶりです。

パソコンを仕事に使うようになってご無沙汰していたブログ。お久しぶりです。この間、スマホがアイフォンに変わり、そっちの操作に没頭?していて、ツイッターでつぶやき、ティーバーでドラマ見たり楽しんでいまして・・・・。でも、やっぱりブログはブログの良さがあります。ほとんど愚痴書きだけどね・・・。

職場も担当が3人いますが、人間関係って難しいね。いい人ばかりなので大枠仲良くやっていますが、ここっというときにお互いのプライドのぶつかり合いを感じます。「人間関係ってプライドのぶつかり合い」 そんな悟りを新たに発見しました。誰だってプライドあるからぶつかって当然。それを隠しながら大人の対応していくことが求められるけど、私は半世紀も生きてきたので“ワオ!ぶつかってる!!”という雰囲気を感じて楽しんでいます。でも、あんまり心地いいものではありません。そんな時は『♪友だちになるために人は出会うんだよ』と心の中で唱えます。

最近サワコの朝をティーバーで見ています。先週の梅沢富雄さん、舞台でもテレビでもあがったりしないとのこと。梅沢さん曰く、「自分以上のものを見せようとするからあがるんだ、緊張するんだ。おれは(うる覚えですが)これだけしかできないと思ってやるから緊張しない。」まあ、そんな開き直りはなかなかできませんが、ちょっと心に留めておくと楽かなあと感じました。まだ、外は真っ暗。もうすぐ冬至。私のありのままって何だろう。お世話好きなとこ?毒舌はくとこ?口先人間なとこ?やさしいの?ひねくれてるの?んんんん・・・・・・。ちょっと考え込んでしまいます。どれもこれも自分の一部として変わらないし変われない。やりたいこととできることを一つずつ見つけて死ぬまで生きるだけ。

今やっと、お墓参りで親に手を合わせ「ありがとう」と思えるようになりました。罵詈雑言親には言ってきたけど、ほんとにありがとうって・・・。その時の心の穏やかさは、何とも言えません。

自分をしばらない

自分をしばらないって、どういうこと?

その言葉聞いた時、その通り、って思ったけど、それ難しいよなあって思った。何に縛られてるのか、何故縛られてるのか……。その縛りを無くすことは本当に可能なのか?もし、各々の縛りが無くなったらどうなるのか?

でも、世の中問題なく生きるために縛りは必要だと、うさんくさい言い方はしたくない。自分の縛りをなくしてから、それから世の中のこと考えればいい。

何のために生きるのか、青空に問うてみた……なんてコメント聞いたことありますが、そこを自分で確信持たなきゃ、縛りはマイナスでしかないと思う。

自分が自分のために生きる決意をするからこそーそれは、えらいことしたいとかじゃなく、生きることに真摯になることだと思う。ー縛られることを受け入れられるのかなと思う。

そのために縛らない。思ったこと、やって見る中で、何かに神様が微笑んでくれるかな?

久しぶりです

パソコンが、職場で必要になって、家で使えなくて更新できませんでした。色々とありましたが、今ブームはのど自慢です。土曜日に予選があります。ボランティアのメンバーで出る予定です。練習に集まっても半分はおしゃべり。好きなこと言ってますが思いやりの心がいっぱいあるダベリングです。こんな機会を得られたこと、感謝します٩(^‿^)۶。

息子が突然帰ってきました。親に殺意を抱いて………………………。 地域の行事があったせいでほとんどしゃべりませんでしたが、殺したいと思われてると知って、何をかいわんや…です。

つらい休みでした。

でも姉ちゃんがしゃべってくれました。

さすが、兄妹ですね。

 

本当の問題

昨日、ちょっとした家族会議をしました。私が、なぜかしら思っていることを言いたくなって姉ちゃんにぶつけたことから、父親にも加わってもらって話をしました。何を言ったかというと、単刀直入に言うと「何か働いたらどうや・・・」ということです。きっかけは、夜中のツウィートを見て過度に悲観的に受け止め、自分なんかいなければいいと布団にこもっている姿を見たこと、ここ数か月、夜中の3時4時の寝て昼まで寝ている生活が続いていること、本人が「朝起きてもすることないし」と言ったこと、等々。姉ちゃんは、ほんとに力持っています。絵の才能はしかりですが、とにかく何事にも熱心に取り組みきめ細かな作業ぶりを発揮します。最近は0点か100点かでなく、70点や80点、もしくは20点でも、これはこれでいいんや、と納得できるゆとりも見られてきました。すごい成長です。でも、なかなか自己否定的な感情は払しょくされません。いくら親がほめたたえようが、本人の実感がない限りはお題目にすぎません。「本人の実感」「まんざらでもない自分を実感する」のは、家庭の中だけでは限界がありやはり社会の中でその才能を認められることが近道ではないかと考えたわけです。センターから頼まれたイラストの仕事、ほんとに熱心に取り組んでました。別に絵でなくても、なんかのモニターや今はネットの中でいろいろ単発の仕事もあるらしいのので、何かすることがあるほうが本人の気持ちを安定させるのではないかとずっと思っていてそれをとりあえず話してみました。しかしながら本人は「今頑張っているからほっておいて」「今は休養している時間」と話しました。きちんと説明してくれました。それが本人の選んだものでした。周囲の思惑でやらせても本人のためには何もならないので、自分自身が望むことを見つけてもらうしかないと改めて感じました。姉ちゃんなりに新しい目標や楽しみを見つけ、まんざらでもない自分を心から慕えるようになってほしいと思っています。ほんとに私はすごく魅力的な人間だと思っています。姉ちゃんの冗談はぴか一です。姉ちゃんはこういう話になると「こんな子ども迷惑やろ」とよく言いますが、親にとって、迷惑とか迷惑でないとかそんなレベルではないんですね。迷惑であろうがなかろうが唯一無二の存在なんです。どこまでも見守り続けます。

昨日の話で追い詰めたところもあるかもしれませんが、姉ちゃんは頑張って生きててくれます。親としてはそれだけでも感謝したいと思います。

 

新しいiphon

ふるーいスマートフォンから新しいiphonに変えました。とっても使いやすいです。タッチ感もやわらか、早い、使い方軽い・・・。色々進化しているのですね。「携帯」という世界から格が上がった感じがします。使い方はうちのIT担当の姉ちゃんにいろいろ設定してもらいました。寝る前にラジオが聞けたり、ブログが書けたり便利そのもの。でも、機種が変わるとちょっとしたことがわからなくて困ります。先日講習を受けたのですが、マナーモードの仕方がわからなかったりとか、ライン中心なのでメール返信の方法がわからなかったりとか、「えっ・・」とあたふたすることがまだあります。まあ、徐々に慣れていこうと思います。姉ちゃんはこれを使ってポケモンゲットで楽しんでいます。なんと、ここらあたりはとっても田舎なのでポケモンがほとんどいないとか・・・。人込みは歩いてではちょっと遠いので、ゲットするのにいろいろ苦労があるようです。よく、そんなゲームが作れるなあと感心します。

今日からお盆の休みです。ゴジラの映画が面白いらしいけど混むだろうなあ。そんな1日目から姉ちゃんは落ち込みモード。何か昨晩ちょっとハイだなあと感じていて、今晩もしかして・・・と思っていたのが当たりました。「元気そうやな」と思った時が危ないと何かわかってきた感じです。いや、たまたまかもしれませんが。不思議なもんですね。人間って、落ち着かないときに明るくふるまったりするって。本心は本人に聞かないとわからないことで想像で話すのはやめたほうがいいと思いますが、気持ちのコントロールってむつかしい。混みあがる怒りや悲しみや苦しみややるせなさや口惜しさや・・・、毎日いろんな人と出会いいろんな感情を交差させ、でも、表情は特に変わりなく過ごす。もし、人間にコントロールっていう概念がなかったらどうなるのだろう。自分の感情がそのままでたら・・・。いやな人と会った時ににっこり「おはようございます」っていってるのが、いやだなあという感情がそのまま顔に出て口からは「朝からあんたの顔見たことなかった」って言葉が出たら・・・。相手は普通の顔で「〇〇さんか、今日の服ダサいなあ」と言ったら・・・。そして相手は私の嫌な顔に「〇〇さん、私のこと嫌ってたんや」とわかる・・・。怖い世界です。でも、感情ってそれなりに醸し出されるものなので、そんな「かもし」で相手の思いを組みとり人間関係うまく操業しているのかもしれませんね。私も、こみ上げる感情をどうしようもなく荒い行動に出たことは何回もあります。我慢できないですよね。「やめとけ」と怒鳴られてもやめられないからそうなるんです。それほどの気持ちなんだと相手にわかってほしい。ほんとにそうです。私にはわかるしかない。そんなにつらかったんだと。私の怒りはほとんど〇美さんの介入でしたが、おさまらない怒りのレベルも人それぞれ。今は私もお婆になって〇美さんにも、「まあ、お好きなように」という気持ちになっています。年齢、時間、相手への理解、お互いさま・・・等々でつきあがる感情自体が弱まってくるなあとは思います。自分との戦い・・・それ自身がとってもいい生き方だと思って、戦っているみんなを応援しなくちゃと思います。〇志もそうかな・・・。戦ってるか、応援しとくか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

文学っておもしろい・・・けど

ある講習で文学作品の読み取りの講義を受けました。「あまのはらふりさけみればかすがなる みかさのやまにいでしつきかも」阿倍仲麻呂の句です。なんとこれは、中国に渡った時に詠んだ句らしいのです。年代などいろいろな資料を当てはめてわかってきたらしいのですが、そこに作者の状況や心情が込められていて「なるほどなあ」と目から鱗・・・状況になりました。言葉一つ一つに作者の気持ちが見え隠れして、粋を感じます。三笠の山から月が出ることはないらしいのですが、立ち位置によってそう見えることがあるらしい。たぶんここから見たのだろう・・とそういうことまでわかるそうです。奥深いことです。でも、それがどうしたん???と言われればそれまで。そのあと伊勢物語の解釈も講義を聞きましたが、そんな大昔の人がどんな気持ちだったのか、なぜ、「船こぞりてなきにけり」なのか、ある意味どうでもいいことをほんとに真剣に考察して研究されているのですね。話を聞くと「そうなんだ」とその奥深さに感動します。私はどちらかといえば理系で白黒はっきりしているほうが好きですが、文学は「わからない」ことだらけで、それでいいんだとおっしゃって素直にうけいれられるのは、先生のお人柄のような気もしました。数学も、円周率を何桁も計算したりだいたいでいいやん、と言われるとそれまでのことを命かけてやるところもあるし、研究?学問?の世界って無駄に見えるけど人間性が濃く濃く詰まっているものだなあと実感しました。その先生は偏差値40の高校で古典を教えて、ずっと竹取物語の音読を半年ほど取り組まれたそうです。その成果として、古典が理解できるようになったそうです。そういう話は時々l聞いていて、進学校でも1年間かけて一冊を読み切るとかそういう取り組みされていて生徒に考える力がつくということを実証されています。なのに、現実は暗記させて点数取らせる教え方がほとんど。学校教育変えないと人間変わらないよ・・・と思っている私です。英語も教科になるらしいけどどうなるんでしょうね。今のやり方では絶対しゃべれるようにはならないと思いますが。

今日一日、「作者の気持ちでも考えてろ」ってバカにされる文系の魅力を実感することができました。ああやって作品に向き合っていたらおもしろいだろうなあ。そして、先生のお人柄にほっとしました。いい人っているよね。そして、一つのことをこつこつやっていくことの価値を改めて感じました。

朝、電車に乗り遅れて「今日は最悪だ」と思いましたが、一日終わってみるといい日でした。人生塞翁が馬、いいこともわるいこともいろいろです。

暑い・・・・・・・・・・

朝夕はしのぎやすかった昨今でしたが、さすがに昨日の土用は夜も暑かった。そして、昨日は町の夏祭りで、役員のためお手伝いに行ってきました。キャラクター風船(ヘリウムガスの)を売りましたが、ドラえもんアンパンマンはそんなにみんな欲しがらないのですね。一番売れたのは今やっている戦隊もののキャラクターでした。好きな図柄を選んで親に買ってもらった時の、ちょっと気恥ずかしくてでもうれしさがこみ上げる子どもの表情が印象的でした。うちは、ああいうものは一切買ってこなかった気がします。1個500円って高いという印象があったことと、しょうもないおもちゃ、という印象がありました。でも、おもちゃって、決して実用的ではないしょうもないもので、でも、子どもにとっては夢がたっぷり詰まっているものなんですね。ケチってんと風船の一個くらい買ってあげればよかったといまさらながら後悔しています。人生って正当に生きるより遊びが必要だなってほんと思います。真面目なことしてても、仕事してても心をいかに遊ばせるか・・・・、50過ぎて感じていることです。

そして、一昨日、姉ちゃんと冒険をしました。水着姿で海辺で撮影会をしたのです。ポーズも研究して400枚ほどとって・・頑張りました。プロの撮影もこんなんなんやろな、なんてしゃべりながらカシャカシャとシャッターを切り続けて・・・。ベストショットも何枚かありました。私は、二人で普段できないことにチャレンジして、それなりの作品もできてやった事実に満足しているのですが(楽しかったよという事実)、姉ちゃんはなぜかそこで満足はしないのですね。また、落ち込むネタが増えただけ・・・みたいに、消沈していて・・・・。生きてて楽しいってこといっぱい経験してほしいなあと思うんですが、やる楽しさと結果の楽しさが一致しないようです。親が常に評価してきたかな・・・。今でも、親がどう思うかを気にする心優しくも気弱なところがあります。今さら、自分のやりたいことやったらよいって、無責任な発言かもしれません。でも、今回、頑張り屋の姉ちゃんらしくすごく頑張りました。これと思ったら没頭して緻密に計画するのも姉ちゃんらしくとても素敵でした。(分析は意外と冷静でしっかりしてます)そんな良さをとても大事にしてほしいと思うし、若干まわりとかみ合わなくてもどんなことにもプラスの意味があり、それを思いついて行動に移したことは必要な行為であったと思う。うれしさも落ち込みも含めて何か自分の成長につながっているはず。そんな自分に自信を持ってほしいと切に願っております。姉ちゃんのファンとして生きてる限り応援します。姉ちゃんの温かさをひしひし感じているファンより。

仕事・・・やめたい

ああ・・・、毎日の仕事疲れます。年とともにいろんなことが対応できなくなりました・・。自分の老いを見つめるために、仕事辞めたい理由を細かく分析したいと思います。まず、第1にエネルギーがなくなった。今までは10分に3つか4つの仕事に向かえたのに、今では1つするのがやっと・・・。せんならんことを箇条書きにして、毎日そんなにスピードアップで働くことはできませんが、今日は仕事片づけて帰ろう!と思った日は、次々と箇条書きの仕事に取り組んで線で消して行けたのに、今では、“せんならん・・”と思っても体が動かない始末。めんどくさい・・、やりたくない・・という気持ちが勝ってしまいます。それは家事でも一緒。これして寝なくっちゃ・・と思ってもそれができなくなりました。動きの速度が3分の2くらいになったことを実感します。第2にそのエネルギーのなさが、同僚の中で、浮いてきているということ。疲れを感じつつも一職員としてみんなと同じように、今までと同じように働きたいとは思っています。でも、若手もいる中、もう私は周りの若い方に配慮される存在になりました。「〇〇さんは、いいですよ。」と優しくかばってもらえる存在になりました。うれしいですよ、仕事楽させてもらえるのは・・・。でも、いや、わたしできるけど、という変なプライドがもたげて、もう職場のお局様か・・・と寂しい気持ちを感じてしまいます。第3に、仕事の性質上、相手さんと張り合わなくてはならないときがあります。私なりに頑張っても、同僚の若い方のほうがうまく相手さんを扱ったときに、ちょっと口惜しさと寂しさを感じます。もちろん他の方のおかげで相手さんがご機嫌なら喜ぶことですが、喜びと一抹の寂しさが同居するのです。第4に、世間の情報に乗れないこと。相手さんとの交渉でいろんなご時世の話もしなくてはならないのですが、SNS系列は全くダメ。テレビも見てる間がなくはやりのドラマもはやりのニュースもトレンドも知らないし、さて、何を会話にして相手さんとつながろう・・何もない・・・。面白みのない人間なのです。ついていけなさを感じます。そして第5、健康問題。体にぶつぶつが・・・と思ったら老人性いぼができていた。くしゃみしたときに尿漏れがあったり、走る時はトイレ済ませないと不安になる。ちょっとしたことで下痢になったりトイレ問題は意外と大きな不安要素です。時間が開けばとにかく座りたくなる、立っているとえらい・・・。見た目は若作りしてますが、物が落ちて拾う動作やご飯食べててこぼれてしまったり随所で「おばあちゃんや・・」と感じることもしばしば。そう、おばあちゃんに足突っ込んでるのです。第6に脳の問題。人に聞いたこと忘れてしまう。職場の人の名前がなかなかおぼわらない。何か聞いたときに親切に答えてもらったが、「あっ、これ、前にも聞いた記憶がある・・・」と聞いてから思い出す。総合的判断力の低下。いつ、どこで、何があるか、若いときは一回でおぼわったのに今はほんとに記憶に残らない。「前にもきいたかもしれんけど」と言ってから聞く、そんな生活をしている。第7に組織の問題。成果主義が蔓延し、年度初めに目標を立てろと言われる。それもなるべく数字で表せる目標。何を何回頑張るとか、いつまでにこれをこれだけ仕上げるとか・・・。そんな目標の立て方おかしいよ、と思う。まじめに働いてるじゃないか。そして年に2回面談がある。上司から目標に向けて頑張れたか話があるのだ。他にもこの職場のいいところと問題なところを感じたことでよいので言えと言われる。自分の体の世話で必死なのに、あと数年で退職するのにそんなことどうでもいいわ!と言いたいところを、あたかもまじめな仕事人のように、「いいところは〇〇なところで、もう少しこういうところがこうなったらいいかなと思っています」と取り繕って答える。上司は「そうですね、職場のためにどうぞ力を貸してください」などとのたまう。そしていつも言われることは「あなたの経験を若い方々にどうぞ伝えて、若い方を指導お願いします」と丁重に話される。うそとうその社交儀礼である。疲れます・・・。これ、本来の仕事と違うじゃないか。本来の仕事と違うことでエネルギー使うのは嫌だ。私と同じ年代の人は多かれ少なかれ同じ問題を抱えつつみんな頑張っているのだろうと思う。他にも細かいことあると思うけれど、そんなこんなで、もう仕事辞めたいよ~と日々思っている私である。お金、降ってこないかなあ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

車談義・・・。

車談義。今の車はあと二年ほど乗って買い替たい、っていうことは以前にも書いたと思いますが、その続編。今のは意外と大きいので、もう少し運転しやすい小型がいいなあ。でも、高速は知ったときにスピード出しても怖くない安定感もほしい。加速はそんなにこだわらないけど、高速で時速110キロ出しても怖くない滑らかさもほしい。スピードを感じさせない車体の安定感。形は、のべっとしたのはあんまり好きではなく、どこかシャープな感じがいい。特に、人の車って後姿を見ることが多いので、後姿がシャープさとかわいさと兼ね備えているのが理想です。内装はそんなにこだわりません。実はちょっと変わってる…という感じが好きなので、マニアックさもあるほうがいいかな。後部ドアは、引き戸みたいなほうが使いやすい。色は白でいいけど、この前車体が紺で屋根が白の小型車が意外とかっこよくて、紺系もありかなと考えています。走りやすさは乗ってみないとわからないですよね。おっと、大事なことを忘れていました。価格は300万円・・・は出せないです。200万前後で(もちろんすべて込み)抑えたい。ちょっと思っているのが、車体価格300万なので、それの中古がうまく手に入ればいうことないのですが・・・。車屋さんからうまく中古車を購入するのはどうしたらいいものか・・・。誰か教えてほしいものです。いつも車は夫と言って夫にすべて手続きしてもらい購入していたのですが、そうすると夫が当然のように私の車を勝手に使ってしまう。それが、意外とストレスです。置いておいたものが後ろにほおってあったり、座席下に転げ落ちてたり・・・。人の車使うならきちんと元に戻しておけよ・・と怒りがこみ上げてきます。それで、今度買うときは私独自で商談したいと思っていて、買った車は勝手に使わせない約束をしたいと思っています。でも、50過ぎのおばちゃんがうまく安く車を買うなんてなかなか難しいのではと意気消沈してしまいます。まっ、どうなるかわかりませんが、とにかくお金をためてできれば望みの車を購入できるように頑張りたいと思います。・・小銭ためなきゃあ~。

お茶点てに行ってきました

名古屋市昭和区の昭和美術館でお茶点ての講習があり、行ってきました。一般向けの簡単な講習だろうと思って出かけましたが、美術館界隈を見るとなんと、豪、豪、豪邸ばかりの一角。大病院の医院長? 社長?と思うほどの大きなモダンな家ばかりで、私はそれを見て急に緊張し、普段着で行っていいとこ???と姉ちゃんに尋ね、「ネットで写真見たけど、普通の格好でしてやったで」と答えをもらって、それでもちょっと不安でドキドキしながら美術館に入りました。お客さんが何人か入ってこられましたが、特に着物姿などなく普通の方たちだったのでちょっと安心して館内を見学。お茶の道具があるかなと思いましたが思ったよりなくて(購入できるような品)、でも、無駄なお金使わなくてかえって良かったかも。風流な庭園を見学して講習の場「有合庵」に行きました。

11人の参加、みんな一般のおばちゃん、おっちゃん(一人だけ)で気楽にできるかなと安心しました。講師の先生は・・・最初のあいさつで、しゃべっているときは優しそうな表情をされるのですが、言葉が途切れるとこういう世界によくある、「わたしはお茶の先生よ!」的なすました感じが出ててちょっとそれでまた不安に・・・。

でも、予想と現実は一致しないもので、その講師の先生は気さくで大変和ませていただいたのですが、参加者のほうに毒が多く、とっても疲れてしまったという結果になったのです・・・。

講習は、お菓子をいただく人、お茶を点てる人と交互にやっていったのですが、その“おっちゃん”が何かとよくしゃべる人で「お茶は女の方が多くていいですね」などと訳の分からんことを言い、なんとなく場をしきりたがり、「白の靴下を履いてきてください」と書いてあったのに紺の靴下で親指に穴が開いているといういでたちで・・・。

とりあえずお茶を点て、それなりにいい勉強になりました。ああだこうだといろいろ会話も弾み、そろそろいい時間になってる、もう終わってほしいなあ・・・と思っていると、先生の点てたお茶が参加者にふるまわれて、「おいしいです」「先生の点てたお茶が飲みたいです」などとおばちゃんたちが言い出して、そしたら、そのおっちゃんが、「それじゃあ、みんなでいただきましょう」と言い出し全員が先生の点てたお茶をいただくことになりました。

それ自体は、やはり先生の点てたお茶は甘みとまろやかさがあり、これが薄茶か・・と実感できてよかったのですが、早く終わってほしいなあと思っているときに「みんなで先生のお茶をいただきましょう」の行はちょっときつかったですね。姉ちゃんは「流石先生です・・・」とおばちゃんたちが口幅ったいことを平気で言えることに引いたようですが、ちょっと疲れた1時間半でした。

その毒を払うようにショッピングモールを目指して車を走らせ、無印良品で買い物。次に雑貨やへ行きかわいい小物をみてやっと心の重しがとれました。気分転換って大事ですねえ・・。ああ、疲れた・・で帰ってもよかったですが、疲れたけどちょっと寄り道して違う場所や空間で時間を過ごすことの価値を実感することができました。

高速を走らせ無事家に着きました。昼前に出て夕方かえって、7時間ほどの外出でしたが名古屋を体験し、お茶を体験し、お買い物をしと、充実した盛りだくさんの外出となりました。

予想と実際はたいがい違った結果になるものだということ(世の中予想つかないことであわてさせられるものだ!?)、疲れたときは「気晴らし」もとても大事だということ、教訓にしたいと思います。

姉ちゃんの石運び、先日京都のほうに車で行ってきました。博物館、美術館を回って帰ってきました。素敵な絵葉書もお土産に買ってきてくれました。とってもうれしかったです。でも、ツイッターではこちょこちょもめてる(?)らしくめそめそ泣いたりもしています。「絵を描く」ことの大きな壁にもぶち当たっているようです。姉ちゃん見てると生きるって大変なことだなあと感じます。脳みそがピピッと働きすぎているのでしょう。脳みそのことは本人の意思で何ともできないので仕方ありません。私の脳みそも意外と細かいところがあって、したくないのに気になってしてしまうことはあります。「そんなんせんでええのに」と言われても気になるのです。他の人はなぜしないのか・・・、気にならないのでしょうね。気持ちの問題だけではないようです。私も最近はがたがきていろんなことスルーしたり、忘却してしまったりします。そんな脳みそと付き合っていくしかない・・・。姉ちゃんもそんな脳みそ(?)-思考回路ーと付き合っていくしかない。苦労続きですが応援していこうと思います。

話は変わって最近気になることが「車」です。10年ほど前に自転車が乗せられる、ということでボックス型の車を購入。もう12万キロ走っています。三人目の子どもがあと2年で大学を卒業。たぶんその時の引っ越しに今の車が必要になると思うのでその時までは乗って、卒業後に車を買い替えることをひそかに考えています。いい車に乗りたいけれど300万円ってちょっと高いよなあ・・・。燃費も気になるし、姉ちゃんが言ってたけど「高速道路をスーッと滑らかに走る車」もすごい魅力です。駐車場では一通り止まっている車を物色するこの頃です。今気になっているのはミニクーパー。ちっちゃいのでなくて中型のが駐車場にありました。5ドア。COOPERの文字、クーペ??と読み方もわからず検索したところクーパーと読むらしい。BMW???えっ、外車??といまさらながら車の世界を学習することになっています。いざ、購入するとなると燃費の数字や値段で、それなりの日本車になると思うのですが、旅行と一緒で購入する前が一番楽しい気分になります。これから2年間、ああでもないこうでもないと物色したいと思います。

心休まらず・・・

昨日、家族の協力のもと一日寝て過ごし、何となくだるさもぬけ今日は洗濯してばあさんのお世話して・・と起きて動き出しました。姉ちゃん、昨日気も張っていただろうし大丈夫かな、とのぞきに行くと・・・・・。

やってました。自傷行為ツイッターで何やらやらかして「だれも信じてくれへん」と言ってくれました。生きたくないとも。う~ん、昨日頑張ってお世話してくれて、ありがとうの気持ちも伝えたつもりですが、本人の生きる糧にはならないのですね。有名人と結婚するという本人の意思、以前も書きましたがそんな物的証拠はないんです。しゃべったこともない人と結婚するという話、なかなか信じがたいことです。もし、第三者がその状況をしゃべったら姉ちゃんは、「それは難しいんと違う」と冷静な判断をすると思うのですが、自分のことはそうならなくて、本人自身が苦しい状況に追い込まれているようです。そこは、誰が何と言おうが、本人自身が何とかならないと何ともならない。自傷はしばらくなかったのに1か月ほど前から出だして、私自身もショックは並大抵ではありませんが、また、あるんだろうな、と考えるようにしました。本人が生きるために必要なことなのでしょう。またあります。そして、昨日も・・・。そう思いつつもわたしもぶっ倒れていたのでちょっと予想外でくらっとしました。「おかあさん、ごめん」と言ってくれました。こっちこそごめんです。子育ての中で、姉ちゃんを怒鳴ってた光景が頭に浮かびます。あの時もっと優しくしてたら、怒らんかったら、追いつめんかったら・・・。いろんなことがよみがえります。抱きしめてあげてたら・・・。姉ちゃんの行為、親としてはつらいです。それだけはやめてんか、と言いたいです。でも、生きていくために・・・・。そのこと問題視するのでなく、そのことを傍らにそっとおいてあげようと思っています。それが正しいのかどうかわかりません。姉ちゃんの内面も私の理解が正しいのかどうかも分かりません。ただ、今のわたしのつぶやきです。

最近少し楽になる考え方を見つけました。「3割」です。野球で3割打てたらいい打者ですよね。人生も3割でいいや、って思ったとき、すごく楽になりました。今までは60%でいいやと考えていましたが、ぐっと下げて30%。これくらいが意外と生きやすい。相手にも3割というベールをかけると意外とそれ以上頑張ってはることに気づきます。何かしたとき、失敗やと思っても、3割のベールをかけるとそれくらいはいってるか、と自分にOK出してやれます。3割で十分です。そのことを実感したとき、自分はなんと高いハードルを基準に生きてきたのだろうと改めて気づきました。「あるべき姿」に支配されていました。「嫁」としてこうせなあかん、「母」としてこうせなあかん・・・。「嫁」という部分は大きいですね。家のことは嫁さんがしっかりせな、と家のことかなり頑張ってきました。(無駄に・・・という傾向もありますが)「母」の部分は、見ての通り、マイナス面で頑張って(?)きました。諺で、「親がなくても子は育つ」というのがあって、それくらいがいいと思っていました。でも、しつけは親の責任とばかりに、悪いこと(いたずら)、時間を守らない、行儀が悪い・・・等々は叩いて教えていました。親が怒らんかったら誰が怒ってくれる?ちゃんと育てないと・・・・。「ちゃんと育てないと」この精神が子どもを追い込んでいたんですね。高いハードルに子どもを追い込んでいたんです。子どもとしたら最悪です。今しみじみ考えています。

先日谷川俊太郎のイベントに参加しました。あの偉大な方が身近で飄々とお話しされるのに出会えるなんてなんと幸運なことか。お話し方は、ほんとに飾らず飄々とされていたのですが、偉人です! なんていうのでしょう、優しさがあり、気取らなさがあり、あんな詩ができる人間性がにじみ出るというか、やっぱり「偉人 谷川俊太郎」とい感じでした。一見よぼよぼのおじいちゃんですが、詩を読むとその間が妙を得てるというか感動するんですね。芸術家ですね。文字で書いてある詩をわたしが読むより、谷川先生が読んでもらうほうが詩が何百倍も生きる感じがしました。谷川俊太郎が読んでこそ谷川俊太郎の詩だ、と感じました。サインがもらえるということで「生きる」という本を一冊買いました。「コトバ」を感じさせてくれる気がします。その中で一遍。

「泣いて泣いて泣いて泣いても眠れること/眠ったらまた目覚められること/目覚    めたら立ち上がれること」

わたしは、寝てすべてをリセットするたちなので、共感しました。寝て起きたらまた一日が始まります。その一日をだるかったらだるなりに、楽しみなことは楽しんで、生きる、というには大げさですが、日常を送れたらと思います。大事な家族、子どもたちがいます。もうひと頑張りしないと・・・。

  

 

倒れました・・

連休明けから、何か体がだるいなあと思っていて、特に朝、なかなか動けない。仕事に行くにも動ききれなくてぎりぎり何とか家を出るという状況が続いていました。それが、仕事しててもしんどくて、休憩時間に横になって何とかしのいでる状態で、それから帰ってからもしんどくて動けなくなって、お風呂に入らず寝てしまう日があって・・・。職場が変わってからの疲れがたまってるのかと帰って早めに休むようにしたものの一昨日はとにかく体がだるくてはあはあ言うようになって胃が痛くなって・・・。昨日仕事で、何が原因か、仕事のストレスか、と自分の体に気を付けていたものの、仕事だから特に痛みが助長されるわけでもなく・・・。とにかくだるいのは何とか我慢できるけど胃痛は苦しいので医者に行くことにしました。帰りの車で寒気すると思ったら検温37,3度。平熱が35度、時に34度で体温計おかしいんちゃうか、と思う時があるくらいなので、37,3は意外と高い。しんどい時も36度の時があり一般的感覚で平熱と思っていましたが、その時から微熱だったんだ・・・、と今さらながら納得。胃痛を抑える薬さえもらえればと思っていったものの、お腹おさえてもらったら痛いところがある。「虫垂炎かもしれません。」「え~~」。血液検査も炎症反応があるのでCTとらないと診断はつけられないということで、いわゆる大きな病院へ救急で行き診察してもらうこととなりました。こっちはCTとる気で「もしかしたら手術??」とまで覚悟していったのに、その大きな病院の医師は「今一番困ってるのは何ですか」「今・・胃痛です」「炎症の数値もかなり悪いわけではなく、ちょっと高いかなという感じですけど、CTとりますか、どうしますか?」とのたまう。胃痛だけど、もしかしたら虫垂炎かもしれない、検査してはっきりさせたほうがいいというかかりつけ医の親切な診断があってきたのに、“こんな夜にきてCTとるの?めんどくさいんだけど。そんな痛そうじゃないみたいだし。”みたいな雰囲気を感じた患者は「いや、それなら結構です。」と言わざるを得ないじゃないですか。虫垂炎かもって言ってるのに、お腹おさえるのもなでるように軽くしか押さえない。「おまえ、診断を避けたいのか・・・。」と突っ込みたくなる態度。確かに救急、というほどせっぱつまったしんどさではなかったですが、まあ、痛みどめ、抗生剤、整腸剤をもらって帰ってきました。

そして、とりあえず薬飲んで一日寝ています。でも、どこが炎症起こしてるんだろう。胃痛では(今まで何回かなったことあるけど)熱は出ません。下痢でもないし、そこが解せない部分です。

姉ちゃんがおかゆとお茶持ってきてくれました。ありがたいです。

夫は夕方のぞきに来ました。何かうろうろしてるのでピンときました。「明日OBMどうぞ。(OBMとは夫のゴルフ仲間の飲み会、家が会場となる)」「してええのか」「べつにどうぞ」。どうも、買い物に行く前に確認したかったらしい。やめてもええぞっていったけど、それもめんどくさいのでやってもらうことに。ほんとにそんな用事でしか見に来ないので相変わらずの人ですわ。妻の心配より自分の段取りが心配なんです。

そして、買い物ついでに買ってきたバナナを一本姉ちゃんが持ってきてくれました。わてはゴリラか・・・、なんてことは言わずに「ありがとう」と言って食べました。そういえば昔はバナナも高級品で熱出したと気しか当たらなかったと枕元で聞いていたラジオで言ってました。

わたしは、まだけだるげ・・・

早くすっきりするといいなあ。月曜日CTとりにいこっと。

トットちゃん

NHKで、黒柳徹子のドラマが始まりました。30年ほど前、窓際のトットちゃんで本を出された黒柳さん。それが、昭和のレトロ感を出しながらのドラマになってます。本も読んだのですがあまり覚えていなくて、でも、小学校を退学に追い込まれたという話は有名で、ドラマにもそのくだりがありました。黒柳さんは、ちょっと発達障害ではないかというのも有名ですが、その有名な方と比べるのもなんですが、うちの姉ちゃんもちょっと変わり者で通ずるものがあるような気がします。ただ、違ったのは親の対応です。ドラマでも、親はそんなトットを「何か一つはいいところがある、おまえにもいいところがある」と励まされたのです。そして、そのトットを受け止めて育てられたというのがおおきなちがいでしょうか。わたしもこどものことは大事な存在で嫌いになったことはないですが、親の都合を考えろ、と親の思い通りにならないと怒り爆発していました。トットちゃんを見ながら、何か、いろんな思いが交差します。

トットちゃんの描かれ方もいわゆるKYで、わが道を行く行動が多いです。スタッフの人は、何度言ってもダメだなあ・・・的な対応しているのですが、トットちゃんの個性を必要とした人がいたのですね。それをおもしろい、と感じた人がいたのです。“常識”というフィルターで物事を見るのではなくて、その人の発してくるオーラを見ることがいかに大事かを考えさせられました。トットちゃんは、絶対自分が悪いなんて思っていない。よかれ、よかれと思って行動することがちょっと周りと合わなくなってくるだけで本人の心はとても純粋です。人の見方っていうものを、もっとおおらかに、もっと優しく見ていかなければと自分自身反省だらけです。

その個性がうまく社会の中で歯車が回って黒柳さんはとても個性的で素敵なタレントさんになられました。家のトットちゃんも、すごく純粋で個性的で優しい人物ですが、歯車がうまく合わなくて、暗いトンネルを通ることになりました。どこかで、ギアチェンジをしなくちゃならないのでは・・・と最近思っています。人間は、一人で生きることはできません。何かしら、社会とつながりを持ち、いろいろなアクセスがあって自分の存在が社会の中で動くことが(動きの幅は大小様々でしょうが・・・。私なんか微々たる存在ですけど・・・。)やはりいいんじゃないかなあと思います。このまえも、ちょっとそんなことをしゃべったのですが、姉ちゃんは姉ちゃんの感性を大事にしながらできることをチャレンジしてほしいし、そして、1個人としてとしてそれを全面的に応援していきたいと思います。