学童日記3

ほんとに、人って一人一人全然違う、て思うこの頃です。私は障害をもった方とずっと関わってきました。その世界は、障害児、と健常児、というわけ方をします。障害児は、その障害の特性でいろんなタイプの方がおられます。ほんとに一人一人が個性豊かです。そして今、健常児、と言われる子供たちと出会い、だいたい健常児ってこういう子供たちなんだなあと大枠の方向性が持てるかなぁと思っていましたが、大きな間違いでした!健常児の一人一人もまた、それぞれが大きく違っているのです!ちゃんと宿題する子、寝そべって宿題する子、遊び出す子、周りの様子ばかり気にする子、自分勝手に振る舞う子、すぐ攻撃する子、何でも自分でやりたがる子、うまく集団で遊べない子・・。障害児が、一人一人の特性を大事にする必要があるだけでなく、健常児も一人一人の特性を大事にする必要がある事をズシンと感じてます。障害児は障害の特性で分けられてしますが、健常児は、分ける概念がなく、負の行動は、「言うこと聞かない子」「やんちゃな子」「わがままな子」とダメな子レッテルが貼られてしまいます。でも、目を見ると、真剣なんですねぇ。何らかの要因でそこらへんのスキルが身につかなかったのでしょう。そして指導者は、「静かにしなさい」「それ、ダメでしょう」と注意する。注意されると、それはわかるから行動を修正してくる。でも、長続きしない。注意する事はとても大事だと思います。でも、障害児もそうですが、力で押さえた子は、力が無くなると逆に羽を伸ばしてしまいます。自己調整りをどうつけるかは、障害児も健常児も同じだなあ、と感じています。特に健常児は、躾が必要とあって、ダメ!という言葉を常に浴びせなくてはならない現実に、ちょっと戸惑っている今日この頃です。

 

学童日記2

まだまだなれない学童です。相手がどんな子どもなのか分からなくて、こっちの出方も分からない、という感じ。今日は土曜日。6人の利用でした。そのうち5人は母子家庭。それが今の社会の現実。母親一人、頑張っておられます。先日新聞で沈没家族という記事を読みました。確かに母子家庭だから可愛そうとか不幸とか決めつけられない。子ども達は、みんな笑顔いっぱいです。たわいもない遊びを本当に楽しげにやっています。6人で1時間半ドッチボールやキックベース遊びに夢中になってやっています。子どもって、何をやっても楽しい時期なんだなぁと感じます。元来友達と遊ぶ事を成長の糧にする時期。学校は一生懸命勉強させて子どもを成長させてるつもりでも、実は子どもは休み時間の友達との遊びで自分をさらけ出し、ぶつかり合って味のある成長をしているのでは。勉強は忍耐でしかないのでは?勉強も大事ですが、それで子どもを育てると思うのはちょっと思い過ごしのような気がします。ドッチボールひとつでも体育のような規律正しいやり方ではなく、途中で勝手にブランコに乗ったり、コートから外れたりするのです。でも誰も咎めずゲームは進行します。そして、外れた子どもは、みんな当たってしまって、自分しか残ってないと即座に判断してコートに戻り、何もなかったようにドッチボールをします。外れて戻ってを繰り返しドッチボールは見事に成立するのです。素晴らしい!無茶なボール運びもありながらなんとなくぼやっとした大枠のルールはみんなが了解し、揉め事も起こらず進むドッチボールに感心しました。勉強タイムもあります。「言」という漢字を書いていた子。その漢字を使った例文では、「言うことが多すぎる。」と書いてました。どうも母親をイメージしてるようでした。なかなか面と向かって言えない事をポロリと出してくる。子どもはいっぱい抱えてるなあと感じました。フリーな会話の中で、「○○センセ、今日は服一緒の色やなあ、とか言うてくるし!」と迷惑そう。その先生は、子どもたちと関わろうと必死なのだろうと思いますよ。でも子ども達は意外と冷めて対応しています。そこまでわかって、黙って先生の言っている事受け止めている子どもたち。忖度力ハンパない、と思います。子どもの心、大人知らず。

桜談義

世の中にたえて桜のなかりせば・・と古の昔謳われ、桜の命は短いというのが世の常ですが、私はそうは思えないのです。多分とてもひねくれたことを言うと思うのですが、うちには紅梅が前栽に植えてあり、遅めに花が咲きます。よく、入学式 の日、それをバックに写真を撮ったものですから、四月八日の花の様子で、今年は早いなあ、とか遅いなあとか、季節を感じています 。その紅梅の見ごろはとても短いのです。蕾がぷくぷくに膨らんだ頃が一番美しく、一旦花開くと、次の日には、もうだれっとして、3日も経つと梅でなくなってしまい、見るも無残な様相になるのです。そして鉢植えのボケの花。私は木瓜の花が大好きで盆栽仕様の鉢植えを買って、かれこれ10年育ててます。この木瓜も咲いたかと思うとすぐ見るも無残な姿になってしまうのです。悲しい・・・。それから思うと、桜は気候がよければ、1週間は満開の状態で楽しめます。昨年晴れが続いて、長ーく満開を味わえました。咲き始めは意外と雨風にも強く花びらをしっかりと固めて散らないように頑張ってます。桜はあわれを味わう花ではなくて、いっぱいいっぱい花を開花させて「これ見ろ!」と大手を広げて主張し、私達はそれをお見事!と拍手喝采する極めて陽な花に思えてなりません。散り始めもまた、見事。あの花びらの舞う姿に私は寂しさを感じないのです。散ってもまた綺麗、と感じます。ただ、それでもあの大きな桜がこよなく惜しまれるのは、あの花びらの色のような気がしてなりません。私は「泣きそうな色」と言っています。あの薄ピンクの色はほんとに心惹かれます。あの色が桜のはかなさを際立てているのではないでしょうか。まあ、これはあくまで個人の感想で、世間の桜情報をとやかく言うつもりはありません。桜を愛でて桜を惜しんで、素晴らしい日本の文化ですよね。まあ、私は、桜は意外とたくましい、と思ってると言うことです。

学童日記1

退職して早速学童に勤めることになりました。知り合いのつてです。できれば子どもと関わる仕事がしたかったので、棚ぼたのように二つ返事で了承し、2日から出勤。3、4年生のグループでした。もっと子どもってかわいいかと思ってましたが、年寄りには以外とめんどうくさい。とにかく話に入れない。「私、チョコレート嫌い」「ぼくは抹茶味が好き」・・・どうでもいい!でも、そうなんや〜、すご〜い、等々、相槌をうたねばならない。お弁当のおかず当てクイズも、別にどうでもいい!子ども好きの自分がこんなに冷めてしまったことにも、背筋が凍ります。新しい顔なのでお前くるなあ!といきなり言われたり、あんた、だれ?とわざと言われたり、気持ちにぐさっとぐさっと刃が突き刺さる😭。子どもの世界は辛辣です。

  A君がBちゃんの手のひらに鉛筆で突いて怪我をさせました。A君に危ない、謝った?と聞くと、それにキレるA君。わざとじゃないけど行動があらけなく何かとトラブルを起こすA君。今度から気をつけてな、で収めたけれど、ほんと大変。そんな一面もありながら、子どもは忖度しています。UNOでは自分勝手にカードを持って傍若無人に振る舞うC君。そのお付きのように寄り添うD君。言われるがままにカードを用意してズルに加担します。でも、C君がD君に一緒にしようと誘っても断ります。そのズルに巻き込まれたくないのだと思います。これはズルとわかってて楽しむけれど、そのズルはいけないとわかってはいる。でも忖度して一緒に遊ぶ。子どもは明確にこれで得してやろうなんて考えてないけど、ここは、正義を主張しても負ける・・・、と本能で反応して人間関係こなしてます、嫌い、と思っていても、言っちゃいけないとわかって、普通に喋ります。手を怪我した子どもは、お父さんには言わなくていい、とわざわざ伝えます。普通の子の世渡り術はすごいです。ここまで忖度している子ども集団に発達障害の子が思おうままに生きてたら、ソリャ、ハミにされるよなあ、と感じた次第です。めんどうくさいけれど、子どもたちの心の奥深さに、辛いことが少しでも少なくあってほしいと願う今日この頃です。

退職組になります。

この3月で退職することになりました。というか、しました。定年までは後3年ありますが、早期退職です。今は定年も延びる会社が多いけど、57歳の私は、1日働くとほんと疲れます。家に帰ったら、しばらく横になりたくなります。そんなこと今までなかったのに。元気な高齢者がもてはやされてますが、正社員、フルタイムの仕事はキツイです!物覚えも悪くなり、物忘れはひどくなり、55歳くらいが限界でしたね。それなりにやらないことはないけれど、定年が伸びるっていつまで働かなあかんねん!と思います。それもこれも高齢者がどんどん増えている現状を生き残るためのようですが、仕事でなくて、違った社会参加で高齢者を元気にしてほしい。若い親は孤立し忙しくてどんどんギスギスしてきます。地域の中に若い世代や子ども達を支えるシステムがあればなあ。今子ども食堂など、いろいろな世代が集える場が増えてます。いい関係だと思います。でもそれはそれで難しい。私の田舎では、子ども相手の行事がありますが、役員が仕方なくやっておられる感じです。機会はあっても形式的になっている。どういうエキスがあると、それらの行事が、未来をつなぐ気持ちの通ったものになるのか。それぞれの行事が形はあるけど主体がないことが一因でしょうか。形をこなし写真を撮り 報告する、規定のことをやらせてオッケー👌。お互いが話し合うことがほとんどないんですね。でも、話し合うといってもそれをまとめる大人の役割が重要になるし、大人も忙しいし。なんか、そんなところにおじいちゃんとかおばあちゃんとかのエキスが加わって欲しいなあとは思ってます。現実は、ちょっと元気なおじいちゃんたちは年金もらえず日々の生活費を稼ぐことで慣れないスーパーの荷物運びなんかに悪戦苦闘してるんですよね。隠居なんて死語になりつつある、この世の中はあまりに切ない。私の退職生活も前途多難か・・・。悲しい😭😭😭。

 

オペラ

本日、小澤征爾さんつかさどる「カルメン」を見てきました。オペラは初めてです。ずっと上の階だったのですが、それなりの金額してました。でも、金額が惜しくならない素晴らしい公演でした。カルメンはあまりにも有名で、名前こそ聞いてあるものの実際に見たことがなかったので、たまたま近くで上演されることになり、思い切って申し込み見させてもらいました。ストーリーは単純で男女の愛憎劇ですが、やはり舞台という演技の素晴らしさを堪能することができました。曲は耳慣れた曲で楽しむことができました。生演奏と素晴らしいお芝居、ほんとによかったです。

 

愛ネコちゃん

どうしてますか?愛ネコちゃん🐈。

あなたの写真、床の間に飾りました。お花も供えました。かわいいピンクのガーベラとかすみ草で可愛くしましたよ。思いっきり泣いたけど、やはりモヤモヤ感は残ってます。まだまだ気持ちは宙に浮いてます。座敷の机の下が好きでよく寝てました。あちこち探して、テーブルクロスぺらっとめくると、「何〜」っていう顔で見てました。手作りハンモックもお気に入りでした。あまりに重くなったので補強が必要でした。お風呂が大好きで、お風呂のフタの上でくつろいでいたね。浴槽のふちを歩いて落ちそうになったことも。家の前栽が好きで、橋の影になるところで外の空気に触れていたね。畑をウロウロすることも好きだったね。病院では🏥ニャンとも言わずお利口に診察受けていたね。そして、うちの娘をいっぱいいっぱい励ましてくれたね、優しくしてくれたね。

こうやってひとつひとつ思い出す事が、愛ネコの供養になる気がして書きました。ありがとう!

ずっとずっと大好きだよ。

ずっとずっと大好きだよ。

 

死んだよ(>_<)

愛ネコが亡くなりました。5日たちました。あと1週間と言われて、3週間生きました。泣きごと言わず、凛としてました。「あんたらの方が心配やわ」って言ってるみたいやなぁ、って娘としゃべってたくらいにじっとただどこかを見つめていました。でも最後の1日は、呼吸も荒く、しんどそうでした。仕事から帰って、様子の変化に、ずっとなでてあげたい気持ちでした。でも、そうもいかず、娘にお願いして就寝。娘は横で寝て、夜中さすってあげていたようです。苦しそうで、気が変になりそうだったと言いました。なでてあげると、少し呼吸も落ち着いたようです。そんな一晩を過ごし、私は仕事に。娘はお休みだったので、様子を見ていましたが、あまりにしんどそうで、少し、気晴らしに外に出ていたそうです。帰ってきて見ると、咳き込むような呼吸で、思わず抱いてあげた。その腕の中で、息を引き取りました。多分いなかった時も苦しかったと思いますが、娘が来るのを待っていたかのように頑張って、抱かれて亡くなりました。私は家に帰ってから娘から様子を聞いたのですが、悲しくて悲しくて。もう少し生きてくれると思っていました。まだ、4歳です。今でも、なんで?と疑問の気持ちが80パーセントです。頭では、ペットのネコが死んでしまったなあ、とわかるのですが、気持ちは割り切れないものがあります。ペットでさえこんな気持ちになるのだから、我が子とか、ほんとにいたたまれないだろうなぁと感じました。何か割り切れないのです。なんで?病気で死んだ、わかるけどなんで…。この気持ちの宙に浮いた感、うまく表現できない。心の中に、むちゃくちゃ絡まった毛糸玉があるようなモヤモヤ感。この前まですごく元気だったよ、いたずらもしてたよ、気持ちよく寝てたよ…………。現実は物語のように理解できますが、気持ちはまた、別ですね。この不思議な気持ち、これからも見つめていきたいです。愛ネコのこと思い出して懐かしめる気持ちにどう変化するのか、今はわかっているけど受け入れられないバリアがあります。

 

いよいよ12月

すがぽんの出会いから3カ月。なんか一年くらい前の気がします。いま、今年度で退職決めて、その日を指折り数えている毎日です。そこまで楽しみにしてるけど、やめると、行っといたらよかったと思うをだろうなと、いつも後悔先にたたずの私なので、40パーセントくらいそんなことも覚悟しています。この前、上司との面談がありました。早期とはいえ22歳から57歳まで勤めて、その人生の岐路を変えるという私に上司が言ったことは、就業時間ぎりぎりに来てるようですね、事故しないように気をつけてください、というお話でした。悲しいものです。上司って、人間的にどうなのかっていうのは別ですね、他に何か言うことなかったのですかって思いました。別に労ってくださいというわけではなく、やはり、長年勤めた仕事をやめるのは、寂寞感があります。そこを、何か寄り添ってもらいたい気持ちはありました。そこは、人としてどうか、ってことですかね。そんな会社、やっぱもういいです⁉️

今娘がいとおしくて仕方ないです。10年、引きこもって(?)、二年ほど前になんとか仕事見つけて行くようになり、今、そこをやめて新たな職探しをしています。その会話が、一つ一つ大切なんです。人ってこんなにも健気に生きられるものなんだなあと、ほんとに感心します。「私も第3の人生かなぁ」とか、「お皿洗とくよ」とか、「こんなこと感じたよ」とか、一つ一つが生きることを大切にしている実感にあふれています。暗いトンネルの光はほんとに輝いてます。あって当たり前の富士山を、天気がよくて見えたとか、雲って見えんかった、という一喜一憂とは違う、光が、湧き上がる一粒の涙の価値があるように思います(ちょっといいすぎ⁇かなぁ)。今、病気で命の危ない愛ネコを、お世話してくれています。その愛ネコの命との向き合いも、一言で言えないつながり、尊敬、愛情、悲しみ、いろいろな感情を確認し合いながら見守っています。一人一人の人生はその歩いてきた道なりに価値があり、誰とも比較できないことを娘が教えてくれました。頭でわかっていても、感情でどうしても比べてしまうものですが、ほんとに娘はいろいろな事を教えてくれました。愛ネコも、今体をはって私たちにメッセージを送ってくれています。無駄なものはこの世にない、そんな思いで何かを受け止めたいと思います。

久しぶり東京だ!

今日、東京へ行きます。イベントに参加します。私の携帯の待ち受けになっているすがぽんの朗読イベント。すがぽんは40才の声優さんです。歌が上手い。CABAというユニットを組んでいて、そのイベントに昨年参加して、もう一度見てみたい!と今回申し込みました。ウチから4時間かかります。今新幹線待っていますが、早速ドジ踏んでます。切符を買って改札出ようとしたらとびらがバタン!帰りの切符入れてました( ; ; )。早く着いたので一本早いのに乗ろうかとウロウロしてたら方向がわからなくなりみんなの流れにのって在来線の改札出ようとしたり。もちろん、とびらはバタン!とにかく待って、予定の新幹線に乗りました。ほんとに早いね~。車体の浮く感じが怖かったよ。さて、案の定、現地を行き過ぎて戻るという事もありましたが、無事到着。ちょっとお客さんが少なかったかなぁ。そして、大人しい方ばかりで、笑いはありましたが静かなイベントでした。すがぽんのおしゃべりは、ほんと好きです🤗。朗読もありました。声優っぽくってよかったです。オリジナルの話でボケたとこもあり楽しかったですが、もう少し聴かせるストーリーでもよかったかなと思いました。最後の歌は聴かせてくれましたね〜。こんちゃんのワインレッドの心、2人の夜空のムコウ、ピアノ伴奏はそんな落ち着いた曲がとてもあっていていい歌声でした。もう東京まで来ることもないと思い、すがぽんの姿をジィーっと見つめて、目に焼き付けて帰って来ました。

また、明日から、CABAの曲、車で聞いて🚗、仕事頑張ります‼️

生は、いいわぁ^_^

 

 

夫婦という病

あんまり夫の言動が苛立つので、岡田先生の「夫婦という病」という本を買った。しかし、その本を読む前に、夫への苛立ちはすうっと消えていた。その訳は、娘が、アスペルガー症候群の本を読んでいて、「これ、まさしくオトンやん!」と紹介してくれたのが、反抗挑戦性障害の項目だった。怒りっぽくイライラしがち、自分に非がある場合でも謝れない、注意を受けると否定されたと思い込む。自尊心が、極端に不安定になる輩らしい。本人に言えば怒り出すかもしれないが、私からすれば当にこんな人だ。なんで分からないの⁈と怒り心頭になったのも、本人の性格や心がけが悪いのでなく、そこが分からない人なんだ、と思ったら、怒りがすうっと消えていった。そして、そこを理解して、対応するしかないと思えてきた。あんなに腹が立って腹が立って仕方なかったのに、自分でもつきものが落ちたように穏やかになれたのは不思議で仕方ない。人の心って180度変わるものなんだ。(私が単純なだけなのかも)ただ、この現象、何故なんだろうと思う。言っても言っても理解してもらえない、行動が変わらずに腹が立つ、それが、そういう障害(?)の持ち主と理解しただけで全く怒りが無くなる。ましてや優しくしようともする。相手の様相は変化がないのに…。人間関係って捨てたもんじゃないと感じた。「あいつ大嫌いやし」そんな人いくらでもいる。職場でもいっぱいいて、浅く狭く人間関係を保ってきた。大嫌いな人間は多分ずっとそんな言動で雰囲気で、私好みに変化することはまずない。世の中にはなんて嫌なお方がいっぱいいるのだろうと、世間に出るのも嫌になるくらい私は閉鎖的な人間だ。でも、その「嫌」って、こちらの理解の仕方で変わる事があるんだ、と今回のことで感じた。相手を理解する、というとなんかシャチホコばっているが、こういう原因があるんだ、と気づくことで、相手を受け止めようというよい人間性が自分の中に生まれてくるんだ、と感じた。例えば、お喋りな人がいて、「うるさくて嫌だ」と避けていたけど、その人は、「喋ると落ち着くのよ、静かだと不安で不安で」などと打ち明けてくれたら、喋って気持ち落ち着けてはるのか、と見方が変わるかもしれない。それぞれの人の持っているリスク(?)に気づけるかどうか…かな。相手を自分の価値観で判断してこうあるべき人と思ってしまうと、腹が立つことばかり。それが正しい時もあるけれど、自分も相手も必ずリスクを持っている、そこがはっきりすると、相手を受け止めることもできるのかな…。人間って捨てたもんじゃないよね。

声が聞きたいけど・・・

NHK城みちるの番組をやっていました。もう60才になるのに慰問活動を頑張っておられる内容でした。そんな活動をしている事も知らなかったし、なぜ続けているかも知らなかったけれど、すごく考えさせられる内容でした。たった一曲当たっただけの歌手と思っていました。でもその一曲が今の活動の支えになっている。決して侮れない。そして、親子の関係。本人も、色々な制約を受けつつ、生きてきた事。ちやほやされるアイドルに甘んじず親や家のことを考えて人生の岐路を選択してきた事。逆らえない父だけど、反対に会いつつ自分の生き方をしてきて、最後は親である父に気持ちを寄せる事。紆余曲折ありながらも、大切にしたいことを自分の信念で突き進んでいる事。アイドルから落ちぶれたと見えがちデすが、地に足つけて頑張っておられることがうかがえました。

東京の息子の事が気がかりです。元気か、と連絡しようと思いましたがやめました。私の誕生日がもうすぐなので、そのせいかと誤解を生んでも困るし。でも息子は私の誕生日なんか覚えていないとは思いますが。

いろいろな親子関係があります。

私は、 良い親子になれると思って子育てしてきましたが、子どもは親大嫌い💔です。子の心親知らずです。

ごめんなさいです🙇‍♀️🙏。

でもこの番組を見て、親子の関係は、とても糸が絡まり複雑だということを感じました。そして、親として、子どもを信じる事の大切さを感じました。

息子とたわいもない事話したいけど、親からの連絡なんて身の毛もよだつだろうから我慢我慢。

息子には、ごめん、ありがとう😊、それしか言えません。

ごめん🙇‍♀️🙏、

大事です。

許して

ありがとう😊。

 

 

久しぶり(*´-`)

もう、一年くらい書いてないですね。久しぶりです。このお盆に長男が帰ってきました。親に憎しみを抱いているので、「帰ってくるかぁ」と聞いても負担になるかと思い黙っていたら、向こうから夏休みだから帰ると連絡がありました。迎えに行った時はいつもながら無愛想でしたが、ピリピリした感じはなかったものの家で過ごし出すと「おぅ」と吐き捨てるような返事。お土産も「食え」と言って渡し、睨みつけるわ……。今回は、もう仕事もやめるし子どもとも一定距離を置いて普通に接しようと思っていたので、いちいち気にせず注意もせず過ごしてましたが、とにかくずっとそんな調子。姉と喋った時、すごくいい顔で笑ったのが救いでした。明日帰るという晩ご飯の時に「なんで普通に喋ってくれへんの?」と切り出しました。何か睨みアピールが、言いたいことあるけど…に受け取れ、何か少しでも吐き出してもらわな、せっかくの帰省やから、と思ってぶつかってみました。長男は、怒り収まらぬ感じで💢さらに表情はこわばり、立ち上がり私の胸ぐらをつかんできました。夫が仲裁にきてくれましたが、長男いわく、「お前らにそういうめにあわされてきたんや」「オレの人生、ミスった」私が何か言うと、「偉そうに‼︎」

本人も頭抱えて、自分を卑下し嘲笑い、私はすまないとしか、いいようがなかった。「キレるって気持ちいいなぁ」「あと100回くらいキレたらおさまるかなぁ」。絞り出すような声に、ごめんな、としか言えない…。

姉が上手く言いました。「機能不全家族」と。そして、それぞれの所為ではあるけれど、誰の所為でもないと。長男との関係はずっと膠着状態だろうと思う。「親を困らせたい」らしい。それだけ本人が困っているのだと思う。ごめんやで…。家族として、そんな長男を影ながら応援するしかない。

「偉そうに‼︎( *`ω´)👊」って言うだろうなぁ😓😓😓

 

 

んん〜、感謝?

今日、カウンセリング行ってきました。ちょっと相談したいことがあって…。引きこもっていた娘が、自立したいとのたまい、親としてどうしたらいいかアドバイスして欲しくて。

ほんと、無茶苦茶なこと言うので途方にくれての相談でしたが、カウンセリングの先生は、娘をすごく理解してみてくれてる事に感謝でした。親の育て方が悪かったのに、娘は娘として見てくれて、すごく大切にしてくれている事が、私の相談からも感じられて、いい出逢いがあったと、感謝。大事な娘を守ってくださる方がいてよかった、ありがとう、と思った日でした。

苦しんでる人はたくさんいる。娘が何もいい事がない、と言うので、人生にいい事ってどんな事があるのだろうと思ったときに、結婚、出産しかないのではないかと思ったのです。それこそ宝くじに当たるとか、お金拾ったとか、大きな懸賞に当選したとか。他は何か日々の失敗やアクシデントばかりです。人生の99パーセントはうまくいかない事ばかり。人生はいい事があって当たり前なんて思ってたら大間違いです。アクシデントをなんとかしようと必死になって、あぁ、今日も一日終わりましたって言って過ごすのが人生のような気がします

1月も後半( ;∀;)

見にコンサート、無事終わりました。終わった直後はうまく演奏できなかったことに落ち込んでズドーン😢でしたが、あとで、DVD見せてもらうとそれなりに音が出ていたのでほっとしました。ズドーン、の時も一緒に演奏したKさんからは、「そういう経験が大事。僕も、いっぱい失敗してきました。」と励ましていただき、また、Tさんからは「こんな機会を作っていただきありがとうございます。」とお礼まで言われ、世の中こんないい人がいるんだと心の中で涙しました。うちの家は、そういう言葉のフォローがない家なんで。確かに、本人がどう行動するかが大切ですが、言葉はとっても大事です。心の中では舌を出してても「ありがとう」って言える、へたくそな演奏だなって思ってても「よかったよ」って言える・・・。人ってかけられた言葉で落ち込みもするし元気も出ます。そして、私たちは、その言葉がまやかしか、真実か感覚的にわかります。嘘でも、その人の優しさが含まれている真実がある、そんな言葉には、「ありがとう」って素直に思います。取り繕うことは世の中にいろいろありますが、取り繕うとすることは、その人の優しさであることが多いです。そうやって、お互い助け合っているんだなあと実感します。少し前までは、真実が1番と思っていました。お愛想で相手を褒めるなんて、それは嘘です!という立場でした。真実が一番大事でしたけど、真実とは違うけれどそれを言うのはその人の優しさ、それを言わないのはその人の優しさ・・・そう思えることが多くなりました。いっぱいいっぱいつらいこと抱えてる中で、うそでも褒められるとうれしいです。そう感じるのは、職場以外のプライベートで付き合いのあるお友達との雑談かな。いわゆる「世間」の人との雑談。これが楽しい!!。家族、夫婦はあまりそんなこと言わない。してほしくないこと伝えることが多い。夫婦は優しくないけど、世間は優しい人がいっぱいいる。ありがとうって思います。

ほんと、世間の人は優しくて、私も生きてていいんだっていう気になります。でも、大きな孤独感もあります。家族にそんな優しさがないから。いろいろあって2か月夫と口きいてないけど、夫からは何のモーションもなくお互い無視し続けてる。私の反抗を夫は無視し続けてます。多分本人は「お前が怖いからや」とあえて関わりを持たなかったと正当化するでしょうが、「どうしたんや」「何がいいたいんや」という相手の気持ちを汲み取ろうということがないですね。さわらぬ妻にたたりなし・・・ですかね。男性と女性の差かもしれないけど、そうやって一生懸命つらいって信号送ってるのに無視する男性って、女性からは「どういう神経してるの?」って思います。

世のご主人、奥さんを優しくしてあげてください。